カフェdeセコイア




            カフェdeセコイア




 薄藍色の罫線には空白のマス目が広がっている。エンドレスに思える連なりは二行目から始まり、先へ先へと続く。一行目には下手くそな筆跡で記された表題があり、そこには『カフェdeセコイア』とあった。

「ああ駄目だ。どうしても書けない」
 僕のような三流小説家にはどだい無理な世界だったんだ。受賞した賞だって中の下くらいのものだし。出版された本だって全然売れなかった。一月経っても二月経っても、半年経ってもまったく同じだった。三年が過ぎた今でも、まるで存在すらしていないかのように、僕に齎したのは失望感だけだった。
「あーあ、やっぱり才能がないのかなあ」
 僕に二作目はなかった。最近では出版社からの電話やメールすらきやしない。僕は取り残される一方通行だった。
 そんな僕の失望とは裏腹に、窓から差し込む日差しはとても優しそうだった。カーテンの何ともいえない、もっさりとした動きに光と影が動いている。その先の温もりを感じたくて、僕は手を伸ばしてみる。少しだけカーテンをめくると、強い日差しが一気に差し込んできた。一瞬目が眩む。でも、頬に当たる日光はやっぱり優しい。
 光に目が慣れた頃を見計らって薄目を開けると、向かいの屋根の上で眠りこけている野良猫が目に入った。
「いいなあ、気持ち良さそうで」
 思わず声に出して言ってしまった。だってトタン屋根の上で眠る三毛猫は、この上なく気持ち良さそうだったから。
 ああ、これではいけない。こんな暢気に構えていたらまた同じ日々の繰り返しになってしまう。いくらなんでもこのまま終わったんじゃ悲しすぎる。気持ち良さそうに眠る野良猫を見て、何だかそんな気持ちになった。
 それならばと、新たな気持ちで賞に応募しようと決めてみる。今度は中の下ではなく、上の中くらいの賞にしようと。
 でも書けない。タイトルしか決まらない。いや、構想はいくらでもある。それが言葉になってに出てこないだけ。頭の中では物語はスタートし、各々が生活を始め、会話を交わし、楽しくやっている。でもそれが僕の体を巡り喉元までやってくると、途端に引っ込み思案になってしまう。原稿用紙を前に万年筆なんかを持った日には、殻に閉じこもって絶対に出てきてくれない。ここ四日そんな日が続いている。
「やっぱり今日も難しいなあ」
 優しい日差しとは裏腹に、僕の心は焦燥感と失望感に満たされていた。
「あー、駄目だ駄目だ。これじゃあいつもと変わらない」
 僕は原稿用紙と万年筆を愛用の擦れたショルダーに放り込み、行き付けの『セコイア』へと逃げ込む準備をして家を出た。少しでも気分を変えればという安易な解決策にすがったのだ。でもこの方法はたまにしか成功しない。それでも僕にとってあそこは居心地が良い場所だった。目立たない裏通りで見つけて以来、かれこれ二年は通い続けている。 

 数年前に駅周辺は再開発され、すっかり様変わりしていた。最近では情報雑誌の特集や、テレビに取り上げられる機会も多くなった。今流行の街である。でもその代償はあった。それは昔の面影がどこにもなくなってしまったことだ。
 それでも、一本裏通りへ入るとまだまだ長閑さの匂いが残っている。剥がれかけたコールタールの壁を相手にキャッチボールをしている小学生の姿を見るのも、ここらでは珍しくない。軒先に出された縁台には、夕涼みともなると近所の顔見知りでいっぱいになる。打ち水をされたアスファルトがキラキラと反射して、その景色に「わるくない!」と感嘆の声が漏れてしまう。そんな愛すべき昔が裏通りには残っていた。
 そこをさらに先へ進むと、いくつかの商店がのれんを下げている。蕎麦屋に和菓子店、それに小さなゲームセンターとクリーニング店、そして本屋が続き、その先に『カフェdeセコイア』があった。
 渋く深みのあるこげ茶色の木造に、レンガ色の屋根が少しだけ高く尖っている。くすんだ漆喰の壁が情緒を醸し出し、中に入ってみたいという気にさせる店構え。
 大人が手を広げたほどの一枚板に、白いペンキで乱雑に書かれた店の名は、この地での歴史を感じさせてくれる。
 店からは焙煎された豆の薫りと淹れたての珈琲の香りが混ざり合い、鼻腔を刺激し口の中に唾を溜める。
 それでもなかなか一見客は扉を開けない。決して入りにくい店構えでもなければ、汚らしいわけでもない。肝心要の珈琲の味も、プロと呼ぶに申し分のない美味さである。ただ駅前にあるチェーン店のステイタスにしか、一見客は興味を示さないだけなのだ。
 それでもマスターは別段困った様子もなく、自分流の『カフェdeセコイア』を今日もオープンする。大繁盛しているわけではないが、固定客はそれなりに多くいた。みなそれぞれの理由があるにせよ、足繁く通ってくる固定客で充実している。
「マスターおはよ、いつものね」
 奥の席に座り込み、ショルダーを開いて原稿用紙と万年筆を取り出した。
「木本さん、もうお昼ですよ」
 マスターがカウンター奥から笑った。
「えっ、ああほんとだ。徹夜したから頭が働かなくて。どうりで野良が気持ち良さそうに屋根で寝てたわけだ」
 木本は頭を掻いた。
「野良って猫ですか」
「そうそう。部屋のカーテン開けたらさ、向かいの家の屋根で気持ち良さそうにね。ひとが一行だって書けないで苦しんでいるっていうのに、暢気な奴めって思ったんだけどね」「それはそれは」
「でもそれを見て決心したよ。今度こそちゃんと書き上げて、出版社じゃなく賞に出してみるつもりなんだ。それも名の知れた賞にね」
「それは良かった。是非書き上げてくださいよ。木本さんなら本気さえ出せば、きっと賞にだって通りますよ。そうしたら私読ませてもらいますから」
 フラスコで熱せられた湯が押し上げられ、中挽きされたキリマンジャロがロートの中で絡まり色を変えていく。
「マスターにそんなこと言われると、身が引き締まるよ。頑張らなくちゃな」
 静かに蓋を開け、竹べらでほぐしながらゆっくりと五回掻き混ぜる。
「ところで、どんな内容の小説なんですか」
 マスターは時計を見ながら聞いた。
「うん。それがね、まだ書き出せてないんだよ。例のごとくってやつでさ。それで、マスターの美味い珈琲を飲んで気分転換」
 微笑むとマスターはもう一度時計を確認し、
アルコールランプの火を消した。
「木本さん寝てないって言ってましたよね」
「うん、徹夜」
「よく平気ですね。私なんかしっかり寝ないと駄目な方だから、羨ましいですよ」
「そうなんだ。あれ、マスター幾つだっけ?」
「私は今年で三十七ですよ」
「そうだそうだ。僕の二つ上なんですよね」
 木本は腕組みしながら何度も頷く。店内にはいつものようにクラシックが流れている。気持ち大きめの音量は、マスターの好みの表れだ。この珈琲店ではベートーベンが主流だった。ごくたまに他のジャンルの曲も流れるが、それは月に二三度がせいぜいだった。
「はい、お待たせ。特製キリマンジャロ」
 少し厚みのある藍色のカップから何ともいえない香りが広がる。立ち昇ってゆく湯気が鼻先を湿し、木本は唾を飲み込んだ。
「これこれ、この香りが堪らないんだよね」
「木本さんサイフォンがお好きですもんね」
「うん。すきすき」
「確かにドリップに比べると香りが強く出ますからね。私も好きなんですよ。味では劣るという意見もありますけどね」
「へえ、そうなんだ。僕はこれが一番美味いと思うけどな」
「もちろん人それぞれですから。自分が一番気に入る味が、美味い味なんですよ」
「そうだよね。うん、僕はこれが一番美味い。マスターこれからもこの味でよろしくね」
「承知いたしました」
 ベートーベンの旋律が熱情を帯びて店内に行き渡り、珈琲の香りと絡み合う。耳と喉から嗜好を堪能した木本は満足気な顔をしていた。
「さて、マスターの美味い珈琲で頭も冴えて来たし、書き始めてみようかな。あ、そうだ。マスターに話したっけ? ほら、この原稿用紙。罫線が藍色でしょ。これね、初めてここに来た時にマスターが入れてくれた珈琲に感動してさ。珈琲ってこんなに美味かったんだって。それにこのカップの色とが妙に自分の中でマッチしちゃってさ。それで同じ色の原稿用紙を使い始めたんだよ。言ったっけ?」
「いえ、初めて聞きましたよ。そういう風に言ってもらえると私もうれしいですよ」
「うん。じゃあ、書き始めてみるよ」
 そう言うと、万年筆のキャップを外した。
「どうぞ、ごゆっくり」
 少し戻りかけて、マスターは振り返る。クレッシェンドしていく交響曲。それに合わせるかのように、万年筆は滑らかに滑り始めていた。





   楠木さん


「おじいちゃん、どこにいるんですか。早くラッキーの散歩に行ってきてくださいよ」
 うるさい嫁だわ。毎日毎日飽きもせず朝っぱらから喚きおって。お前は気にすることはないんだぞ。ワシにあたっているだけだからな。お前は悪くない。ちゃんと連れて行ってやるからな。
「おじいちゃん、お庭にいるんなら一言そう言って下さいよ。探しちゃうじゃないですか」
「おお、すまんかったの」
「もう、毎回そう言えばいいと思って。さっさと散歩に行ってください。お掃除の邪魔です」
 言われなくても分かってるわい。
「ああそれと、帰ったらちゃんとラッキーの足を洗ってくださいね。変なもの付けて帰ってきたらお庭が汚れるんですから」
 変なもの付けて帰るわけないじゃないか。仮に付けて帰ったとしてもだ。庭が汚れるのが何故いけない。
「おじいちゃん、分かったんですか」
「ああ」
「ああじゃないでしょ。まだ小学生の剛司だって、もっとしっかりした返事はできますよ」
「おお、すまんかったの」
「もういいです。どうせそうやっていつも私のことを馬鹿にしてるんですものね。とっとと行って下さい」
 いつもいつも同じことばかり言いやがって。
「ああそれと、長い時間散歩に行ってくれるのは大歓迎ですけど、あまりお金を使わないでくださいよ。それでなくてもこの家のローンで大変なんですから。おじいちゃんにお小遣いをあげている余裕なんて本当はないんですよ。そりゃあ、ここの頭金はおじいちゃんに出していただきましたけど、それはそれ、これはこれですからね」
 なにが、それはそれ、あれはあれじゃ。都合の良いことばかり言いおって。鬼嫁が。
 ワシがもっと若かったらのう。あそこまで言わせはしないのに。いやせめて婆さんが生きておったら。
「なあラッキー、お前も婆さんがいなくて寂しいだろう。よしよし……ほら散歩に行こう」 ワシにはいつお迎えがくるのかのう。なあ婆さん。早くそっちへ行きたいよ。悔しいが、その方がいろいろなことが丸く収まりそうじゃよ。
 だがまだこいつがおるからの。ラッキーだけ残したんじゃ可愛そうじゃ。あの嫁ではな。いっそのこと、こいつと二人してそっちへ行ってしまうかの。なあ婆さん。ワシもこいつもいい加減長く生きたよ。そろそろいいじゃろう。
「ウォン、ウォン」
 どうしたラッキー。お前も賛成か。それとも、やはり婆さんは怒るかのう。
「ウォン……ウゥゥ」
 なんだ。お前は発情か。
「ははは」
 まだまだお前は行きたくはないか。そうかそうか。そうか、そうか。
「わかった、わかった。そんなに引っ張るんじゃない」
「あれ、楠木さんじゃないですか。おはようございます。ラッキーもおはよっ」
「やあマスター、お早いですな」  
「ええ、ちょっと急用がありまして出掛けていました。今帰りです」
 ネクタイを緩めながらマスターが言った。
「こらこら、ラッキー」
 マスターのズボンにじゃれつこうとするラッキーを慌てて制した。
「構いませんよ。なーラッキー」
 ラッキーは構わず、しゃがんだマスターの顔をなめまわしている。ワシはリードを制すのをやめた。
「すみませんのう」
「全然平気ですって。汚れたら洗うだけですよ。それより、もう散歩は終わったんですか」
「ええ、帰るところだったんですわ」
 ラッキーはなおもじゃれついている。
「そうですか。今日もお寄りになります」
 そう言うとスーツについた毛を払い、立ち上がった。ラッキーはまだじゃれたがっている。
「でもマスターは帰ったばかりでお疲れでしょう。ワシのことは気にせんと、ゆっくり休んでください」
「全然平気ですよ。それに戻ったら開けるつもりでいましたから。どうぞいらして下さい」
「それじゃあ、遠慮なく」

「すいませんね。適当に座っていてください。ラッキーも待っててな」
 そう言うとマスターは奥に入っていった。昨日の、いやそれ以前からの積み重なった珈琲の残り香がゆるく漂っている。それは目に見えるわけではないのだが、まるで目に見えるようだった。
 積み重なった残り香に、まだ新しい新鮮な香りは重なっていない。だがやがてそれは訪れる。マスターがポットに火を入れた。
 やがて湯が沸く音が聞こえ出し、マスターがレコードに針を落とす。ジリジリと懐かしさの円が回り始め、音楽が静かなさざ波のように漂いだす。
 マスターが挽く豆の音がし始めると、やがて新しい香りが漂いだし、それは曲に乗ってどんどん広がっていく。次第に古い香りに重なっていき、新しい層となって過去へと向かう。
 そんな瞬間を老人は愛していた。そして自ら望んでその瞬間に立ち会ってもいた。
「ええもんですな。クラシックというのも。マスターのおかげですっかり聞き慣れましたわ」
「そう言ってもらえるとうれしいです。私は自分の好きなことを好きなようにここでやっているだけですので、偏ってしまっているかもしれませんけどね」
「それが良いんですよ。最近は皆、偏る前にやめてしまう。いろいろなものが山ほどあるんでしょうが。あちこちいってたんでは平たい人間しかできなくなってしまう」
「そんなものでしょうか」
「そうです。そんなもんです。ワシがええ見本ですよ。クラシックなんて眠くなるだけのもんやと思ってこの歳まできましたからね。ところがここへ来て、毎日のように聞いていたら、ワシなりに見えてきたんですからね。今では聞かせてもらう度に感動しとりますわ」
 マスターは慣れた手つきで紙のフィルターに細工を施している。一連の動きが美しい。
「ラッキーのお陰かもしれませんね」
 呼ばれたと思ったラッキーは、交互に二人の顔を見ている。
「そうかもしれませんな。婆さんがワシに残してくれた最高の置き土産ですわ」
 マスターはラッキー専用に作られた半畳ほどのスペースに、ラッキー用のステンレス皿を置いた。
「ほんとに毎回、美味しそうにミルクをなめますよね」
「こいつにとっちゃ、マスターにもらうミルクが一番のご馳走なんですわ」
 店内に流れるベートーベン最後の交響曲が、ミルクをなめる音と絶妙なハーモニーを奏でるのを聞いて、二人は噴出した。
「こいつもクラシックが好きになったようですな」
「そのようですね」
「婆さんが見たら、顔をほころばせて喜びますわ」
「楠木さんのように」
「え、ワシ? 駄目ですわ。ワシは優しい人間ではありませんから」
 マスターは何も言わなかった。慰めの言葉を期待していたわけではない。実際ワシは婆さんに優しくしてやることができなかったのだから。貧しく辛い時代だった。だがそれは言い訳でしかない。婆さんとて境遇は一緒だったのだから。だがワシはそれに気づかなかった。旅行の一つ、プレゼントの一つもあげることをしなかった。後悔先に立たずじゃの。
「楠木さん、お待たせしました。オールドクロップです」
 藍色のカップから立ち昇る湯気は、昇っては止まり、止まっては昇りしている。ラッキーは満足したのか、体を床にべったりとつけ眠っていた。
「マスター、頂きますわ」
「どうぞごゆっくり」
 喉から体内へと運ばれた液体が落ちつくころ、香りが再び口の中へと戻ってくる。やがてそれは鼻へと抜け、外気に触れる。それはとてもゆっくりと時間をかけて繰り返される。マスターがいつも淹れてくれる、そんな味の珈琲を楠木は何よりも楽しみにしていた。
「マスター、今日も美味しいですよ」
「ありがとうございます」

「ところで、マスター」
「はい、何でしょう」
 ゆっくりとオールドクロップを堪能した楠木が顔を上げた。
「マスターは、好い人はいないんですか」
「いい人……ああ、彼女のことですか。残念ながら今のところ縁がありません」
「それはもったいない。こんなに美味い珈琲を淹れるのに」
「それは恋愛にはあまり関係ないですよ」
「ははは、それはそうですな」
 すっかり白くなった髪を撫でながら楠木は笑った。その笑い声にラッキーが耳をピンと立て、何事もないと分かると再び眠り始めた。
「でもマスターも早いとこ好い人見つけて、幸せにしてあげないと。ワシみたいに後で後悔せんようにね」
「楠木さんは後悔されてるんですか」
 楠木は目線をカップに落とし、節だらけの指でカップの縁を何度もなぞった。
「しとりますよ。あれに……婆さんには、何一つしてやれなかったですからな。できなかったのならまだ慰みにもなるだろうが、ワシの場合はできるにも関わらず、何一つしてやらなかったんですわ」
「ほんとうに、そうなのでしょうか」
 カップの縁を撫でる節だらけの指が、一瞬止まったかに見えた。
「せめて。そう、せめてあれが欲しがっていた口紅を、一つでも買ってやりたかったですわ」
 それから楠木は、一言も口を開かなかった。ただただカップの縁を撫でる動作を繰り返しているだけだった。
 交響曲で引き締まった店内の空気を和ますように、ピアノソナタが流れ出していた。しなやかな指を連想させるピアノ曲と、節だらけの老人の指とが、不釣合いの調和となって時間を刻んでいく。いつしか老犬はぴったりと老人に寄り添い、虚空を見つめ続けていた。





   美佐さん


 『カフェdeセコイア』には一度きりで来なくなる客はめったにいなかった。そういう客は最初からここの扉を開けない。二度、三度と足を運ぶうちに、すっかり虜になってしまう。それはマスターの人柄であり、スタイルであり、また、珈琲の味でもあり、それら全てでもある。
 この店には決まりのようなものがある。それは何度か訪れ、マスターに顔を覚えてもらうと、直々に似顔絵を描いてもらえるのだ。ハガキ台の大きさの厚紙に、鉛筆一本で描かれた似顔絵は店内に飾られる。
 それだけじゃない。いくつかの違った豆、挽き方、淹れ方などをした珈琲を飲ませてくれる。それは数回にわたり、客が納得する味に辿り着くまで続く。
 そしてとうとう巡り会ったなら、その焙煎された豆を、手の平ほどの大きさの小さな額に入れ、似顔絵の下に飾ってくれるのだ。店内にはそれらがあふれている。
 一度マスターに、どうしてこういうことをはじめたのかと聞いたことがある。
「いやあ、私は忘れっぽいのでこうしておくと楽なんですよ」
 そう言って笑っていた。
「……って言うのは、常連の隊長さんの受売りなんだけどね」
「なんだあー美佐が聞いたんじゃないんだ」
「実は、そうでした」
「でも面白そうだね」
「ねっ。なんか良い感じでしょ」
「でもさ、隊長さんって何?」
「私も詳しくは知らないけど、カメラマンなんだよ。でも、ほんとへんなあだ名だよね。隊長ー!だもんね」
 足取りは軽かった。今日は自分の似顔絵を飾ってもらえる日。四度目にしてマスターに描いてもらった自分のポートレート。六法全書を片手に眺めている私の絵。その絵を見た時、とても嬉しくもあり誇らしくもあった。
 『カフェdeセコイア』を発見したのは、まったくの偶然からだった。大学を出て就職。普通に事務の仕事をこなし、たまに合コンにも顔を出す日々。漠然と、このまま結婚して子供を生んで……半ば脱力感みたいな。そんな毎日を生きていた。
 特急列車の指定席に座って、あとは目的地まで何もすることなく進んでいく。そんな日常が急に嫌になっちゃって。
 そんな時にテレビで見たドラマが女性弁護士物だったっていう。ただそれだけの理由で目指そうって決めて、今のところ頑張ってる。 両親には『頑張ってる』とだけ手紙で伝えた。それで行き始めたゼミで出会ったのが同じ歳の律子。私も彼女も独学だったから、お互い刺激しあったり、励ましあったりしながら二年目を迎えている。
「美佐、まだ先なの」
「うん。この路地を入っていった先」
「えー、そんなマイナーな場所にあるんだ。よく見つけたねえ」
 そう。私は偶然にも見つけちゃったのだ。本当は駅前のカフェで予習をするつもりだったのに、混み合っていてとても勉強をする環境ではなかった。
 それで、当てもなく何の気なしに一本裏の路地へ入っていき、ああ、何だか懐かしい風景。って思って散策していたら大きな木に書かれた『カフェdeセコイア』って文字を見つけて、これまた何の気なしに入っちゃったら、はまっちゃったのよねー。
「ほら律子、あそこよ」
「わあ、ほんとだ。雰囲気いいねえ」
「でしょ。あーなんかドキドキしてきた」
「何言ってんの。あんた何度目よ」
 でもやっぱりドキドキだよ。マスターの絵すっごく上手かったし。それが飾られると思うと。
「ほら美佐、いくよ」

「いらっしゃいませ」
「お二人様ですか」
「あ、はい。ちょっと美佐何やってんのよ。あんたの行き付けのお店でしょ」
「あれ、美佐さんですか。帽子を被ってらしたので、気が付きませんでした」
「あ、マスターすいません」
 慌てて帽子を脱ぐ美佐を見て、律子はクスクス笑っている。
「美佐さん、あちらに飾らせていただきました」
「え、え、もう飾ってくれてるんですか」
「はい。あちらに」
 マスターが指差す方に向き直ると、そこには私のポートレートが飾られていた。恥ずかしさと嬉しさが交差する変な気持ちの中、私は慌てて近づいていった。
「どうでしょう。上手い絵ではないのでお恥ずかしいのですが、私は忘れっぽいもので」
 あっ。隊長さんが言っていた通りだ。
「はい。感激です。すごく嬉しいです。ね、ね、律子」
「な、なんで私に振るのよ」
 だって、恥ずかしい気もするけどやっぱり嬉しいんだもん。
「やったね美佐ちゃん。これで立派な常連の仲間入りだ」
 奥のテーブルから立ち上がって手を振る人がいた。
「あ、ニートさん。来てたんですか」
「来てました。来てました。どうせ暇人のニートですから」 
「あ、ごめんなさい」
「いいの、いいの。皆に呼ばれてるから。それより、常連の仲間入りおめでとう!」
「はい。ありがとうございます」
「内田さん。からかっちゃ駄目ですよ」
「マスターひどいなあ。俺は真面目なのに」
 私が、ニートさんって思わず言っちゃった人は内田さんと言って、もうすぐ三十歳なのに未だに仕事に就いていない、ちょっと不思議な感じの人です。
「美佐さん、どうぞそちらへ」
「あ、マスターすみません」
「じゃあねー美佐ちゃん」
 陽気に手を振るニートさん……じゃなくって内田さんの言葉が嬉しかった。私も常連になれたんだ。そんな湧き上がる思いを噛み締めながら私たちはカウンター席についた。
「マスター、ほんとにありがとうございます。飾っていただいて。嬉しいです」
「お礼を言うのは私の方ですよ。何度も来て頂き、ありがとうございます」
「あ、いえ……。マスターの淹れてくれる珈琲美味しいですし、お店の雰囲気だって最高だし、いつもクラシックが流れてて、私すごく落ち着くんです。ね、律子」
「だから私に振るなって」
 律子は笑っている。でもその笑いは、とても優しいものに見えた。
「ありがとうございます。そう言って頂けると私も嬉しいです。お連れの方は、律子さんと……」
「あ、そうです。律子って言って私の親友でもあり、同士でもあるんですよ」
「というと、弁護士を目指されてるんですか」
「はい。はじめまして、川井律子といいます。
美佐から聞いてはいたんですけど、ほんとに雰囲気の良いお店ですね」
「ありがとうございます。何になさいますか」
「あ、マスターにお任せで。ね、律子もいいでしょ」
「うん」
「承知しました。またチョコをお付けしましょうか」
「はい。こないだのもとっても美味しかったです。あーでも、また違うのも食べてみたいな。いいですか」
「承知しました。お寛ぎください」
 やっぱり今までとは違って見えるな。ニートさん、じゃなくって内田さんが言っていたように、常連さんの仲間入りができたせいかな。
「なに自分の似顔絵ばっかり見てるのよ」
「えー、だってやっぱり嬉しいじゃん」
「まーね。あんたのその気持ち分かる気がするよ。美佐が言ってた以上に良い感じのお店だもんね。私だって常連になりたいなって思ってるもん」
「でしょー。良い雰囲気だもんね。珈琲も美味しいし。チョコもすごく美味しいんだよ」
「それからそれから」
「何、それからって」
「とぼけないの。美佐の一番のお気に入りはマスターでしょっ。ねー図星でしょ」
「律子、何言ってるの。違うって」
「えーそうかなあ。そうは見えないけどなー」
「違います。いいから勉強しよ。明日テストなんだよ」
 はあーびっくりした。そりゃあ少しはマスターのこと良いかな……とは思うけど。今はそんなこと考えている時じゃないし。今年こそは司法試験にパスしなきゃ。
「どうした美佐?」
「あ、ううん。なんでもないよ。さっ、勉強しよ」
 やることは山積みなんだ。次から次へと新しいことが枝分かれして増えていくし。ただでさえ大変なのに、法律はどんどん改正されていく。
「そう言えばさ、新しい判例集は買った?」
「あ、うん。こないだゼミで言ってたやつでしょ。買ったよ。美佐まだ買ってないの?」
「えーん、給料入るまで買えないよ。だって次から次と買うもの出るんだもん」
「わかった、わかった。いいから泣かないの。今度見せてあげるから」
「あー律子さまあ。天の助けですうー」
「あーもう。今度は幼児言葉か」
「なんだか、楽しそうですね。楽しく勉強するのは良い事だと思いますよ」
 マスターが目の前に来ていた。
「あっ、マスターいや、違うんですよ。これは……律子が」
「あ、美佐ずるい」
「仲が良いんですね」
「え。あ、はい。律子がいるから司法試験なんて私には縁もないようなことにチャレンジできてるんです」
「それは……私も一緒。美佐がいるから」
 心の奥にあるものを、思わず宣言してしまった気恥ずかしさが急に湧き上がってきた。恥ずかしさで顔を覆いたくなるほど体中が火照ってくる。律子も同じ気持ちらしく、二人して下を向いてしまった。
「そんな、二人とも下を向かないでください。
お待たせしました」
 カップとソーサーが擦れる音に、我に返って慌てて顔を上げた。そこにはマスターのとびっきりの笑顔があった。
「どうぞ。ごゆっくりと。あ、そうだ。美佐さん申し訳ないですけど、今度お時間があるときにでもテイスティングにお付き合いください」
「あっ、それって私だけのブレンドを探してくれるやつですか」
「はい。是非お付き合いください」
「はい、もちろんです。こちらこそ、よろしくお願いします」
 私だけのブレンド。あー、なんて素晴らしい響き。早く私の味を見つけたい。そうしたらあのポートレートの下に飾ってもらえるんだ。
「美佐、どうしたの? 先に飲んじゃうよ」
「え、あ、ごめん。マスター、それじゃあ頂きます」 
 藍色で揃ったカップとソーサー。竹枝の持ち手が可愛いティースプーン。それに青磁の色が清々しい、ミルクの入った陶器。どれもが合わさってバランスを取っているようで美しく見える。
「あーほんとだ。美味しいね。うん。この珈琲美味しいよ」
「律子もう飲んでたの。早っ」
 でも律子の言うとおり。ほんとうに美味しい珈琲なんだ。苦くもなく、酸っぱくもない。ううん。どの味も感じるんだけど、どれ一つでしゃばっていない。そうだ。このカップやソーサーと同じ。バランスが美しいんだ。
「うーー。私って常連!」
「げっ、美佐いきなり何言ってんの? 大丈夫」
「大丈夫。大丈夫」
「なに笑ってんのよー」
「へへえ」
「まったく何舞い上がってるんだか。だけどほんと、美味しいよ。優しい味だよね。このチョコもそうなの?」
 ピアノ仕上げされた真四角のお皿に、二つの包み紙が乗っかっている。オレンジ色に縁取られた正方形の包み紙。その真ん中にはガレーと書いてある。
「ガレー? ううん。私も初めて。マスター、これってガレーって読むんですか」
「はい。ジャン・ガレーと言います」
「へー。人の名前みたいですね」
 私は丁寧に包み紙を解いてみた。四角い板チョコは、ごく一般な物と比べると少し薄いような気がする。
「そうです。作り手の名前ですよ」
「へえーやっぱりそうなんだ。どんな味なんですか?」
「まずは、お召し上がりください」
 私も、律子も、恐る恐る口へと運んだ。それは、美味しくないかもという恐れじゃなくて、マスターが出してくれたものだから美味しいに決まってるし、まだ味わったことのない美味を体験する嬉しさっていう意味のものだった。
「うわあ、おいしい!」
 律子が感嘆の声をもらした。私も急いで食べてみる。ほんとだ、美味しい。今まで食べたことがあるどんなチョコレートよりも美味しい。
「ほんとだ、めちゃくちゃ美味しい」
「私も、初めて出会ったときは驚きましたよ。これが珈琲に良く合うんです」
 マスターの言葉に、私も律子も、今度は珈琲と一緒に味わってみた。
「わー。すごく幸せな気分。マスターってすごいですね。こんな組み合わせを見つけちゃうなんて」
 律子が興奮した口調でマスターに言った。私もそう思う。マスターってすごい。
「いえいえ、私がすごいんじゃないですよ。すごいのはジャンガレー。彼のチョコを一言で表すなら、私は『純粋』という言葉しか思い浮かびません」
「純粋?」
「はい。彼の一貫したこだわり。興味があれば、勉強の息抜きにでも調べてみたら面白いですよ」
「えーマスター教えてくれないんですか」
「はい。興味があればご自分で調べた方が、より美味しさも堪能できると思います」
「わかりました。今度調べてみます」
 私は即座にそう答えていた。律子は私を見てニヤニヤ笑っていたけど。

「マスター、こんちは」
「あ、こんにちは。木本さん」
「いつものお願いね。お、あれ、なにちゃんだっけ? えっと」
「あ、こんにちは。美佐です」
「そうそう、美佐ちゃん。あっ、マスターいつものでお願い。あれ、もう言ったっけ」
「もう聞きましたよ。木本さん小説の方は進んでますか」
「えー、小説家なんですかあ。すごい」
「いやいや、売れない小説家ですから。もーマスター痛いこと聞くなあ。書けてるけど、まだまだ進み具合は雨模様ですよお」
「えーでもすごい、すごい。作家さんなんて」
「いやいやお嬢さん。惨めなもんですよ。売れない作家なんて。肩書きだけで、実情は無職のニートですから」
 奥の席から、むくっと立ち上がる影が見えた。
「木本ちゃん悪かったなー、無職のニートで」
「げ、内田ちゃんいたんですかあ」
「ずーっといましたよ。どうせ暇人ですから」
「もーいじけないの。今そっち行くから。あ、マスター僕の珈琲はあっちね」
「承知しました」

「すみません。話の腰が折れてしまって」
「あっ、いえ」
「えーと……そうそう。私がこの板と出会って感じたのは、さりげない甘さ。それに絶妙に薄い板。この二点です。板に限って言えばチョコレートは薄さが最も大切だと思っています。でも薄過ぎてもいけない。舌の上に乗せ、溶けていく過程と、その中でとろけていく味。それが大事です。職人の良し悪しといいますか、味といいますか、それらは板から伝わるものだと思っています」
「やっぱり、マスターってすごい。ね、律子」
「うん。私もそう思います」
「ありがとうございます。それでは、ごゆっくりと」
 私と律子は、しばらく珈琲と板チョコのコラボレーションを堪能した。そしてマスターに珈琲のおかわりを注文してから、明日のテストに向けて参考書を開いた。マスターが、私たちに気づかれないように店内に流れるクラシックの音量を下げてくれたのを、私は見逃さなかった。





   隊長こと、坂下さん


「あそこも、もう駄目だ。いったい俺たち人間はなにをやりたいんだろう」
「隊長さん、お待たせしました。特性ブレンドです」
「マスターありがとう。でもさ、マスターまで隊長はやめてよ」
「いいじゃないですか。すごく合ってますよ。あれ、失礼な言い方でしたか」
「いやー全然そんなことはないけどさ。なんかこそばゆいよ」
 隊長こと坂下進は頭を掻いた。
「でもどうしたんですか。人間が……どうとか言ってましたけど」
「うん。また環境破壊でね。いつも行ってる所なんだけどさ。今日もその帰り。撮り続けてた場所だったんだけどね……駄目になっちゃった」
「そうなんですかあ」
「うん。ダムだか何だか知らないけど、茶色くなった川を俺は撮れないよ。ほんと俺たち人間は何をやりたいんだろうね」
「そうですよね。私もそういうことは日々感じますけど、坂下さんは最前線で見たり聞いたりしてるんですものね」
「そうなんだよ。つくづく因果な商売だと思うよ。特に俺みたいな考えの人間にとってはさ」
 店内に流れるピアノソナタは告別を伝えている。それは今の坂下の背中に妙に溶け込んでいく。クレッシェンドしていくベートーベンとは逆に、彼の両肩はデクレッシェンドしていくように見えた。
「坂下さん、冷めますよ」
「ああ、悪いねマスター」
「いいえ、今日はいつもより苦味を強くしておきましたから」
 坂下は探るようにカップを傾けた。
「うん、ウマい。この苦味もいいねえ。シャキっとするよ。マスターは、ほんといつも思うけど、その時のその時で的確な洞察力を発揮するよね」
「そんなことはないですよ」
「いや、あるよ。どれだけ救われたか。たかが珈琲一杯だってのに。いや、これは失言。マスターごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ」
 坂下は慌てて訂正し、頭を掻いた。
「謝る事ないですよ。私も同じように思ってるんですから」
「えっ?」
「生意気なことを言うようですが、最近は何でも必要以上に付加価値を付け過ぎると思うんですよ」
「うん、同感」
「珈琲も然りです。あまりプレミアムばかりを強調してしまうと、それを受ける側だって何だか畏まらなければいけない雰囲気が出来上がってしまう。結果、味も感じることができない。ただそこへ行き、帰ってくるだけ。そしてそれがプレミアムだと無理やり自分を納得させる。そういう構図のものばかりだと坂下さんも思いませんか」
「あ、うん。そうだよ。確かにその通りだ」
「だから私は、たかが珈琲しか、お出ししていないんです。私の好きなようにね」
「うーん、そうだよなあ。マスターの言うとおりだよ。俺だってそうさ。たかが一枚の写真なんだよ。ましてや機材がこれだけ進歩した今の時代じゃあ、素人が撮っても同レベルの写真ができちゃうんだからね。露出がどうの、被写界震度がどうのって一生懸命やってた日が懐かしいよ。そういうのは今じゃ流行らないんだろうけどさ。もう俺たちプロにとってはさ、その瞬間にそこにいる、それだけになっちゃったんだよね」
 坂下はポケットからハイライトを取り出し、マッチを擦って火をつけた。二度ほどふかしてから大きく吸い込む。煙草の先が溶岩のように赤オレンジ色に染まり、みるみる燃え尽き灰に変わっていく。
「坂下さん。お替りいかがですか」
「ああ、もらうよ。同じように苦いやつをね」
「承知しました」
 豆を挽く音がリズムよく時間を刻む。外の喧騒とは裏腹に、ここではここだけの決まった時間が流れている。
 坂下は二本目のハイライトを取り出すと、ため息の後に火をつけた。ほぼ同時にネルに湯が注がれてゆく。徐々に膨れ上がり、また萎んでいく気泡と、坂下のふかす煙草の明暗とが新しい時間を刻んでいった。
 二杯目のカップがすっと前に出された。坂下はハイライトをもみ消してから、音を立てながら珈琲を啜った。
「うん。美味い」
 坂下は満足気に頷いてカップを置いた。
「苦味はどうでしょうか」
「うん、良い苦味だよ」
「先ほどの一杯目と同じだったでしょうか」
「そうだなー。一杯目よりも……苦いかな。でもどうして」
「そうですか。私はこれでも同じように淹れようと務めているんですよ。でも同じ味にはならない。できないと言った方がいいかもしれません。それは焙煎の状態や、湿気、挽き方、淹れ方。それこそ様々な要因がそうさせるのですが、それ以前に、生豆の状態で違うんです。いいえ、もっと言うならば収穫された畑、土などにもよるんです。それら全てを踏まえて、それでも同じ味に仕上げようと思っています。でもそれは難しい。何故なら、万が一作り手がまったく同じ味に仕上げることができたとしても、それを飲むお客さん、同じ味を求めて二杯目を頼んでくださるお客さんの味覚が、一杯目のときは違っているからです」
「ああーなるほど!」
「はい。それと、まったく同じ味に仕上げることは叶わぬまでも、それに近づけることはできます。それは私が世界中の畑を周り、土に触れ、自分で焙煎し、試行錯誤したからだと思っています。ですから、同じキリマンジャロやブルーマウンテンでも、『セコイア』オリジナルなんです。それとこうも言えます。今のこの時間に坂下さんがいらして、注文してくれたからこそ、私はこの一杯を淹れられました。そしてこれが私の、今の特性ブレンドなんです」
 店内には珍しく、ドヴォルザークが流れている。巨匠セルとクリーヴランド管弦楽団の境地が『セコイア』を包み込み、窓から差し込む夕影に舞う埃が、天使のように神々しく光っている。
「マスター。川が茶色いんだよ。空は青くて、山は新緑で、大地は土色なんだけどさ、川だけが茶色いんだ」
 そう言うと、残った珈琲を飲み干した。
「うー、やっぱマスターの淹れた珈琲は美味いわ」
「ありがとうございます」
「さてと、やっぱ俺はプロだからな。マスターご馳走さま」
「お帰りで?」
「仕事。俺のホームグラウンドへね」





   綾子さん


 今日三杯目の特性キリマン。僕だけのブレンド。居心地の良い空間と座り心地の良い椅子。最高の音楽と程よく落ちた照明。
 これだけ長い時間ここにいるのも初めてかもしれない。やっぱり部屋で書くよりも捗りが違うな。これでなんとか賞には間に合いそうだ。
「マスター! お陰で今度の賞に間に合いそうだよ」
「そうですか。それは良かった。楽しみですね」
「うん。まだ書き上がったわけじゃないから安心はできないけどさ。なんとか終わりが見えたよ。そうだ、まだ言ってなかったっけ。ここが舞台なんだよ」
「え、そうなんですか」
「うん。タイトルも『カフェdeセコイア』を使わせてもらっちゃったよ。まずかった?」
「いえ、そんなことはないですけど。小説の舞台になるようなことなんて何もありませんよ」
「そんなことないって」
「そうでしょうか」
「うん。まあ、完成まで一月くらい待っててよ。完成したらマスターに最初に見せるからさ」
「承知しました。それでは楽しみにしています」
「うん」
 僕は再び意識を集中した。すらすらと書き進めるほどではないにしろ、確かな足取りには違いなかった。何しろ、ここの常連客はまだまだ多い。題材には事欠かないのだ。
 次は誰を登場させよう。そうだ、シゲさんが面白いかもしれない。あの人はギャンブルで一人になってしまってもまだ懲りずに続けている。あそこまでいくと何だか見ていて逆に清々しい。
 まてよ、そういう意味では道化の人がぴったりだ。あれ、あの人は名前なんて言ったっけ。歳は五十才後半……いや六十はいってるかもしれない。仕事には行かずにひたすら道化人……っていうのだろうか、ピエロみたいな格好で大道芸をやっていたはずだ。ここで見せてくれたピエロも板についていた。
「マスター、あの人名前なんて言うんだっけ。ほら、あのピエロを路上でやってるおじさん」「持田さんのことですか」
「あ、そうだそうだ。持田さんだ」
「持田さんが、どうかされたんですか」
「うん、いや、ここの常連の顔を思い出してたら名前が分からなくてさ。そうだ持田さんだった。ここで見たピエロもなかなか良かったよね」
「そうですね。持田さんの芸はプロだなと思いましたよ」
「ねーそうだったよね。あとさ、あの人は。ギャンブル好きのシゲさん。相変わらずなの」
「ああシゲさんですか。そうみたいですね」
「はは。やっぱりそうなんだ」
「ええ。勝った時にしかいらっしゃらないので、最近お見えにならないということは……」
「負けてんだ。だよなー。僕もこないだのダービーはぜんぜん駄目だったからね。ギャンブルは難しいよ」
「木本さんもやられるんですか」
「うん。たまーにね。でも競馬しかやらないかな。マスターは?」
「いいえ。私は一切やらないですね。どうも向いていないようです」
「へーそうなんだ」
 
「いらっしゃいませ」
「マスターごめんなさい。今日はこんな時間になっちゃった。平気?」
「いつでも大歓迎ですよ」
「ふうー、よかった」
「カウンターにしますか」
「ええ。そうするわ」
「いつもので?」
「ええ。いつもの」
 マスターは手際よく準備を始める。流れる動作は空気を切り裂くことなく自然と調和している。話し込んでいた木本も、再び原稿用紙に向かっていた。
「今日はまいっちゃったわ」
「何かあったんですか」
「あったって言うかね、始まっちゃった。まったく何でって感じよ」
「お義母様ですか」
「そう。私の唯一の楽しみが、毎日お昼にここへ来て、何もかも忘れてゆっくり一時間美味しい珈琲を飲むことだったのに。それすらも奪われてしまいそう」
「そんなにお悪いのですか」
「うーん。悪いって言うかね。完全に痴呆が始まっちゃった。今日、朝起きたらいなくなってて。あ、ううん。もう見つかったから平気なんだけど。それで今日はこんな時間になっちゃったわけ」
「そうだったんですか。それは大変でしたね」「もう、マスターだけよ。そんな優しいこと言ってくれるのは。うちの人なんかさ、自分の母親じゃない。それなのに後は任せたって、仕事に行っちゃうのよ。信じられる。全部面倒なことは私一人に押し付けて。そのくせ外面だけはいいんだから。マスターに愚痴ばっかり言って申し訳ないけど……」
「いいえ、私でよければ。聞くだけでしたらいくらでも聞きますので」
「マスターはいつも優しいなあ。ねえマスター、どこかに逃避行しちゃわない」
「えっ、それは……」
「ふふ。冗談よ。冗談」
「綾子さん。そういう冗談は……」
「ごめんなさい。でもね、冗談でもいいから、こういうこと言ったりしてみないとやってられないのよね」
 静かに旋律でピアノソナタが始まった。マスターは顔を赤らめながらカップに珈琲を注いでいる。
「お待たせしました。いつものモカブレンドです。これ飲んで元気だしてください」
「マスター、ありがと」
 もうじき午後四時になろうとしていた。綾子は一瞬だけ時計に目をやると、すぐ顔を背けカップを手にした。それはまるで、小さな小さな自分だけの逃避行をしているかのように見えた。
「ふー、美味しい」
「ありがとうございます」
 それっきり綾子は口を開かなかった。珈琲を啜り、カップを見つめ、また啜る。それだけを繰り返している。
「綾子さん、大丈夫ですか」
「あ、ええ大丈夫。でもびっくりした。時計の音が急に大きくなって……それに聞き入ってたから」
「失礼しました」
「ううん。平気です」
 時計の針は午後四時十五分を回っていた。綾子の耳からこぼれ落ちた数本の髪の毛が、疲労の度合いを物語ってる。
「綾子さん、お替りはいかがですか」
 マスターが時々かける声だけが、綾子を現実世界に繋ぎ止めているようだった。
「ええ、頂くわ」
「承知しました」
 ……。
「ねえマスター……この曲何ていうの?」
「はい。これはバックハウスという人が弾いているベートーベンのワルトシュタインという曲です」
「ふーん。本当なら軽快なリズムの素晴らしい曲に感じられるんでしょうね。でも今の私には駄目だわ。イライラとしたリズムにしか感じられない」
「そういう日もありますよ」
「ううん。そうじゃないの」
 ……。
「お義母さんの徘徊が始まって……自分で口に出して言っている通り、始まった、って思ったわ。でもそれは違うかもしれない」
 ……。
「こんなにイライラしてるんだもんね。きっと顔にも態度にも出てたんだわ。お義母さんはそんな私を見るのが嫌だったのかもしれなわ」
 ……。
「マスター」
「はい」
「お替りは、まだキャンセルできるかしら」
「ええ、もちろん」
「ありがとう。もうこれからは毎日お昼って訳にはいかないかもしれないけど、また充電しによらせてもらうわ」
「何時でも、お待ち申し上げております」

「マスター、今の人よく来るんだ?」
「ああ、木本さん。先ほどは話が途中切れになってしまって、申し訳ありません」
「あーそれはいいんだけどさ」
 木本がカウンターまでやってきて身を乗り出した。
「ええ。もう長いこといらして頂いてます」
「そうなんだあ。まだまだ僕も知らない常連が多いんだなあ。初めて見たよ」
 木本は、綾子が去った扉を見つめて呟いた。
「そうでしたか。いつもお昼頃に決まっていらしてたので」
「あー、だからか。お昼っていやー僕なんかは大抵まだ夢の中だからね。ははは。だけどさ、話を聞いてた訳じゃないけど、大変そうだね」
「そうですね。少し痩せられたようです。でも大丈夫ですよ」
「そうだよね。僕もそう感じたよ」
 時計の針は午後五時を回ったところだった。『セコイア』の外では、自転車に乗った主婦たちが夕飯の買い物に忙しそうに行き来している。この中だけがそんな喧騒とは無縁の静けさと時間を刻んでいた。
「マスター、僕もそろそろ帰るよ」
「お帰りになりますか」
「うん」





   一月後


「マスター、いいかな」
「木本さん。お久しぶりですね。どうぞ」
「ありがとう」
 木本は無精髭でいっぱいだった。
「いやあ。こんなに朝早くから来たことなかったからさ、何時からやってるんだっけって心配だったよ」
「それはそれは。うちは朝は九時から開けてますよ」
「そうだったんだあ。じゃあもう少し早かったら外で待ってなきゃいけなかったな。よかったあ」
「でもどうかされてたんですか」
「いやあー、真剣にこいつと向き合ってただけ」
 木本は、愛用のショルダーから原稿用紙の束を取り出して言った。
「完成されたんですか」
「うん。ほとんどね。最後はここで書かせてもらおうかと思ってさ。いいかな?」
「もちろんですよ。光栄です」
「よかったあ。じゃあ、いつもの奥の席借りるね」
「ご注文はいつもので?」
「うん。いつものちょうだい。久しぶりだから体が飢えちゃってるからさ」
「承知しました」
 店内には小音量で美しく青きドナウが流れている。マスターの動きはそれに合わせるかのように軽やかだ。外からは小鳥たちの鳴き声が爽快さを運んでくる。
「木本さん、お待たせしました」
「ああマスター、ありがとう」
 木本は原稿用紙と万年筆を脇へ寄せ、目の前にスペースを確保した。漂う珈琲の香りに、思わず鼻の穴が大きくなる。
「おー、久しぶりだあ。早速頂くよ」
「どうぞ」
「はー。これだあ。生き返るようだよ。うん、やっぱり美味い。改めて思うよ」
「ありがとうございます。あまり慌てて飲んで火傷などしないように」
「平気、平気」

「いらっしゃいませ、楠さん」
 ……。
「あれ、今日はラッキーはご一緒じゃないんですか」
 振り返った老人の目は充血していた。マスターと木本は顔を見合わた。軽く会釈するとカウンターの中へマスターは入っていった。
「楠さん、どうかされたんですか」
 ……。
「楠木さん……」
「ああ、マスターすみませんの。何か言われましたか」
「いえ、どうかされたんですか」
 ……。
「楠木さん」
「とうとうワシ一人になってしまいましたわ」
 老人の目にみるみる涙が溢れてくる。
「あれが逝き、あれがワシに残してくれた唯一の友が、今朝逝きましたわ」
「えっ、ラッキーが死んだんですか」
「はい。医者が言うには大往生だったらしいですわ」
「そうだったんですか……」
「きっと無理しとったんでしょ。ワシを一人でおいて行くのは忍びないと。必死に生きとったんだと思います」
 ……。
「最後までワシの手を探すんですわ。もう倒れてこれっぽっちも動けんというのに、鼻先で探すんですわ。それでワシが手を近づけてやると、こう、ぐりぐり押し付けてくるんです。その鼻先はからっからに乾いとりましてな。ざらざらになってるんですわ」
 マスターはラッキー専用に作られた半畳ほどのスペースに目をやった。元気に、貪欲に音を立てながらミルクを飲む姿。満足して寝そべっている姿。どれもが、もう過去のものになってしまっていた。この半畳ほどのスペースの主はもう二度とこの場所に戻ることはない。
「楠さん……残念です」
「とうとう……ワシ一人ですわ」
 楠木の嗚咽が響いた。老人のそれは、とても重々しい。落ち葉が何年も、何十年も積み重なったような重さだった。
「楠さん……」
 ……。
 ……。
「いや、これはお恥ずかしい限りですわ。しかも他のお客さんもおるというのに。大変失礼をしたしました」
「いえ、そんなことはないですよ。それにここは、お客さんの場所ですから」
「ありがとうございます。でもはやりワシはこれで帰りますわ。一言、お世話になったマスターにお礼を言いたかっただけですので」
 老人は、ゆっくりとした動作で席を立った。
「楠木さん、もうおこしにならないおつもりですか」
 老人は力なく笑い、軽く会釈した。
「楠木さん」
「マスター。ワシは近々、なんとか老人ホームに行くんですわ。うちの嫁が、それをさっき知らせてきよりました。ラッキーが死んだほんのあとです。ワシにはもう思い残すことは何一つないですわ」
 再び会釈をすると、老人は驚くほどの速さで踵を返した。
「楠木さん!」
 誰もが驚くほどの、マスターの声だった。
「楠木さん。一杯だけ。最後に一杯だけ私からおごらせてください」
 老人は、少しの間考えたが、マスターが指すカウンター席に再び腰を下ろした。
「ありがとうございます」

 マスターは、ネルで一杯の珈琲を作った。それはこの老人用の、いつも出している珈琲だった。 
「楠木さん、どうぞ」
「マスターのこの味を飲むのも、今日で最後になりますな。それじゃあ、遠慮なく頂かせてもらいます」
「楠木さん。それは私の珈琲ではないですよ。それは楠木さんが自分の中でお作りになった味です」
「ワシが作った」
「はい、そうです。私が毎日楠木さんにお出ししているのは、オールドクロップです」
「ええ、それは聞いとりますが」
「はい。それは本来でしたらお店でお出しするつもりのなかった豆です。オールド豆の特徴は人間味や優しさ、何よりも寛げる枯れた味わいなどと言われる一方で、過去の産物で何の価値もない物とされています。恐らく、大多数の人が美味しくないと感じると思います。はじめは私もそうでした」
「不味いもの」
「はい。でもそうではないと思ったのです。ゆったりとした時間や落ち着いた気持ちの時に飲んでみると、これほど広がりのある深い味わいのものはないと感じたのです。それで自分用にと熟成をさせて置いた物なんです。もう五年になります」
「そんなに」
「はい。私が珈琲を作り続けているのも、何時の日か最高のオールドクロップを味わうためなんです。恐らく若い人は不味いと思う味です。ですが、年輪を重ねれば重ねるほど、遠くにある香味にたどり着くことができる。そんな珈琲だと私は思っています」
「遠くにある香味ですか」
「はい。だからまだまだ私には本当の美味しさまでは辿り着けてはいないんですけどね」
「そんな貴重なものをワシなどに」
「いいえ。貴重なものではありません。それを飲んで、美味しいと感じてくれた楠木さんの重ねてこられた年輪の方が大事なんです」
「私はよく覚えています。楠木さんが初めてこの『セコイア』を尋ねてくださった日の事。
ラッキーと連れ立って、こいつも入っていいかと聞かれた楠木さんのお顔」
「ワシの顔」
「ええ。そのお顔を見て、私は楠木さんにオールドクロップを飲んで頂きたいと、今日までお出ししたわけです」
「そうだったんですか。そういう思いのこもった味だったんですね。オールドクロップですか。これは婆さんに良い土産話ができましたわ」
「楠木さん……」
 老人は最後の一杯を、大切に、抱えるようにして飲み干した。
「いやー、美味かったですわ。忘れません。マスター、ありがとう」
 『セコイア』の扉を開け、会釈した老人は小さな笑顔を残し踵を返した。マスターはカウンターから飛び出し、路上に出て老人を探した。
 彼の背中からは矍鑠たる老人の姿は消え去っていた。マスターは、その帰り行く背中に向かって深々と頭を下げた。




                  完






あるノート




    あるノート




 これは、ある一人の男性の一生です。
 その長い時間の、ほんの一瞬に関わることになってしまった私が、彼の言葉をできる限り変えずにそのままの姿で形にしたものです。
 これは彼の著書なのです。
       
          著者『猫』あとがきより抜粋




    半人 ―はんじん―


 彼に迷いはない。
 彼は他の誰よりも子供である。
 いや、子供の心を持ち続けた大人なのだ。
 だが故に、彼は残酷であり続けた。
 それが彼の唯一の罪である。

          青葉病院 精神科医師 木村 巧
                  所見からの抜粋




 泡盛をぐいと飲み干した。
 刺激が胃に落ちてゆき、返して様々な感情を伴った香りが口内へと戻ってくる。
 この感覚がたまらなく好きなのです。

 今日、父が他界しました。だからといって悲観に暮れている訳でもなく、一粒の涙をこぼす訳でもなく……。二杯目の泡盛を胃へと流し込んでいます。五臓六腑に染み入るこの感覚。これだから酒はやめられません。
 まったく、父親が死んだ日だというのに我ながら現金な者だと思います。こんな時ですら、喜びは普段と変わらずにやってくるのです。
 体の正直。心の均等。つまらない道徳観が色を変え結界を張り巡らします。テレビドラマなどの薄い物語には感動したりもするくせに、肝心なときには鈍重な心なのです。
 ひょっとすると、薄いのは誰でもない私自身の心の方なのかもしれません。一瞬、己の中の悪魔を見た気がして寒気が走りました。それでも次の瞬間には、泡盛に溶ける氷の音色を美しく思う私がいるのです。
 薄情、軽薄……言葉は数多くあるけれど、世の中の常識なんかよりも、泣けないことに戸惑い、落ち込んでいます。笑顔のあとには平静があり、冷静の先には喜びがあると思っていたけれど、今の自分はとても宙ぶらりんなところにいるようで。  そしてただただ、泡盛を喉に押し込むばかりです。

 葬儀は呆気ないほど儀式めいた流れで、淡々と進行していきました。それはまるで学校の卒業式を思わせ、皆が一様に同じ服を着、同じ表情を浮かべ、列を成して私に向かってくるのです。ちょっと気の利いた人などは、ハンカチで口元を隠したり、数珠を擦り合わせたりしています。
 私は喪主でしたから、そこにいる誰よりも打ちのめされ、傷つき、生きているのもやっと、といった姿形をしていなければなりません。向かってくる列が、さながら卒業証書を受け取る生徒の列とするならば、私はそれを渡す校長先生でしょうか。それはもう大変です。大変なのです。何故なら、喪主には以下同文という特権は与えられてはいないのですから。
 それならば……表情の奥にある真実を暴いてやろうと、陰惨な考えをもって列の人々に対してみたのですが、これは失敗に終わりました。どの顔もそれらしく見え(私の父の死を芯から悲しんでいるように見えた)、そうなると、泣けない私自身が誰よりも嘘っぱちに思えてきてしまったのです。
 そうなってくると、もう駄目でした。ただただ喪主という文字が恥ずかしく、父の遺影の脇にある花盛りに立てられた木札の名が、空々しくて堪らないのです。
 私は終始俯くばかりでした。
 それでも、儀式進行中に知った顔をちらほら見つけると、込み上げる気持ちが喉を揺することもありました。特に、あなたの姿を確認した時には、体が震える思いでした。
 清楚な喪服に身を包んだあなたを、私は初めて見ました。とても綺麗で、あの時の私には、あなただけが唯一の人間だったのです。
 こんな告白文を手紙にして、あなたに残そうと思い立ったのも、あの喪服姿のあなたを見たからなのです。どうか笑わずに最後までお読みください。私はあなたに全てを知って欲しくて書いています。そして、どうか最後までお読みくださったら、焼いてしまってください。心おきなくこの世から破棄してください。それが私の望みなのですから。

 父は灰になりました。今は、私の手元にあります。真っ白な小さな小さな器に入っているのが、父の全てです。
 火葬の日、ドラマなどによくあるのを真似て、私はエントツを見上げていました。ですが父の煙は一切見えず終いで、何だか拍子抜けしてしまいました。これならいっその事、葬儀店なり火葬場の方で気を利かせて、裏で蒔きでも燃やし、作為的に、タイミングよく煙を出せばいいのにと思いました。
 そうすれば私も「父の供養のために裏方さんが薪を燃やしてくれているよ」とか「悲しい色ですね」とか言って、喪主らしく振舞えたと思うのです。
 でも悲しいことに、エントツからは塵ほどの煙も出ないようでした。それでも私は気を取り直し、エントツの先の煙を、父の最期の意志を、必死になって思い描き、想像し、父を見送りました。
 親類縁者の一同が、口々の私に弔意を述べて帰っていきました。ですが私の目は、あなたを、喪服姿のあなたを探すことで手一杯で、その言葉の一つとして覚えてはいません。

 泡盛をもう一杯注ぎました。なに、ほんの中くらいの湯飲み茶碗です。これくらいでは私は酔いません。安心してください。父の冥福に乾杯です。
 話があれこれと前後するかもしれませんが、けっして酔っているわけではありません。あなたにできる限り、私のことを知ってもらいたくて、欲張る気持ちからそうなってしまうのです。
 私は欲張りです。でもけして強欲ではないと思っています。だけど、あなたに対してだけは強欲になってしまうかもしれません。いや、きっとそうなります。私自身がそうなりたいと願っているのです。今も、あなたの喪服姿が目に焼きついて離れません。
 桜の花びらのように、淡いピンク色をしたあなたの顔を私はいつでも思い出すことができます。今、目の前に桜の小枝があります。可愛そうに、折れて落ちているのを見つけ、忍びなくて持ち帰ったのです。
 力なく萎びていたので、泡盛を少し入れたコップに刺してみたところ、みるみる元気に上を向き、七部咲きを見せてくれています。花も酔うことがあるのですね。




 この患者に健康上の問題点は見当たりません。
 喫煙習慣もなかったようで、肺はきれいなものです。
 ただ、肝臓に多少の爛れが見受けられます。
 ですが問題視するほどの事ではありません。

          青葉病院 内科医医師 後藤 進一
              内科初診カルテ備考欄より




 今日はたいへん良い気分です。
 急に新しい所へ越したのですが、その私を訪ねて、幾人かの見知らぬ人がちらほら来たりもしています。来訪者は皆一様に、私という人間を気に入ってくれたようで、満足して帰っていきました。
 私の越した先は、とても殺風景な場所なので、とてもあなたを招待できる環境ではないのが残念です。ですが、毎月のお金もかからないので、私はすこぶる満足しています。
 おまけに防犯対策として、窓には頑丈な鉄柵も取り付けられているので、その点も私がこの部屋を気に入った要因の一つです。備えあれば憂い無しです。この特典のお陰で、私は毎晩何も気にすることなく熟睡できるのです。

 いつの間にか話が横道へいってしまいました。私が何故気分が良いのかを話そうとしていたのでしたね。それはたいしたことではない、ほんの些細なことなのですが、朝方、二羽の小鳥が寄り添うように飛んでいくのを見たのです。たいへん仲むつまじく見てとれたので、今日は朝から気分が良いのです。
 その二羽の小鳥は、まるで私とあなたの未来の姿のようで、見ていて嬉しさが込み上げてきました。だから気分が良いのです。
 この、あなたへの手紙に、今現在を書くのはまだまだ先のつもりでしたが、嬉しさのあまり先走ってしまいました。
 そろそろ話を元に戻して、前回の続きを書きたいと思います。私の全てを知ってもらうには、とても一日や二日では時間が足りません。何日かかってしまうのか。ですが私は書ききります。何故なら、それが私の心罪であり、唯一つの真実であり、あなたへの誠意なのですから。

 父の死が私に与えた影響は計り知れないものでした。今なお、傷は癒えていませんが、結局私は未だに泣くことができません。涙の一粒でも出てくれたならば、どれほど楽になれるかしれません。
 私は幼少の頃から父のことを求めていましたし、尊敬もしていました。父の死は悲しいことです。なのに、なのに涙が出ないのです。
 こんなことを告白したら、きっとあなたは私のことを冷血漢だとお思いになることでしょう。ですがそれは違う。間違っているのです……と、私は言おうと考えていました。
 ですが、その思いは薄氷のようにパリパリとひび割れてきています。ひょっとしたら私は、私という一個の人間は、とんでもなく恐ろしい存在なんじゃないのか。いっぱしの優しさ、同情心を持ち合わせているとばかり思い込んで生きてきたけれど、実は一切の感情が無い人間なんじゃないか。私などに比べたら、そこいらに転がっている小石の方が、よっぽど心を持っているのではないか。そんなことを考えたりしています。
 可笑しいでしょう。私自身もそんな自分に笑ってしまうときがあります。自転車に乗り、交差点で信号待ちなどをしていても、青から黄色へ……黄色から赤へと変わる色を見て「あ!」っと、色の意志のようなものを感じ、思わず声に出してしまうほどなのです。
 私は薄情なのでしょうか。それとも、もっともっと醜い何かなのでしょうか。未完成な……いや、たとえ未完成でも発展途上ならば許されます。ですが私は、それほど若くはないのです。
 ああ、結局先に進むことができなかった。話を元に戻せないまま、今日は時間切れになってしまいました。
 また明日書きます。
 おやすみなさい。
 喪服姿のあなたを想い、眠ります。




 私は日に二回……遅番のある時には三回。
 食事を運んだり、食べ終わった食器を片付けたりするだけなんです。
 だから聞かれても……私困るんです。
 答えられるような事なんて何もないんですよ。
 ええ、会話をした事も全然……。
 あ、一度だけ声をかけられ事があります。
 たしか……君は喪服を持っていますか……とかなんとか。
 それだけです。

          同病院 看護婦見習い 斉藤 香
                 インタビューにて


 はいはい、そりゃあね。そうでしょうよ。
 まだまだ見習いの子ですから許してやって下さいよ。
 私みたいに何十年も勤めているわけじゃないんだから。
 えっ、私ですか……そりゃあ見てますよ。それが仕事ですからね。
 二〇七号室ですよね。
 まあ、経験の浅い看護婦が見たら何も見えないでしょうけどね。
 私くらいになると、いろいろとね。気付くことはありますよ。
 二〇七はねえ……。
 あ、私ら毎日の事ですからね。部屋番号で仕事をさせてもらってるんですよ。
 その方が能率が上がるんですよ。
 で、その二〇七ですけどね。
 あれは重症ですよ。
 私なんかの目から見たら、全く、酷い有様ですよ。
 目なんか、こう……、真似できませんけどね。上下左右に細かく動くんですよ。
 でね、そんな時に限ってブツブツ何か言ってるんですよ。
 何を言ってるのかまでは聞き取れないんですけどね。
 え、喪服ですか。
 いいえ、知りませんねえ。
 ――私はそんな事、聞かれてやしません。


    同病院 ベテラン看護婦 鳴海 静子
             インタビューにて




 今朝は少々取り乱してしまいました。
 私は何故こんなところにいるのか。
 こんな、独房のようなところに……。
 見知らぬ隣人が(隣人と思ったのは私の勝手で、今思うと違うかもしれません)幾人もやってきて、私の自由を奪いました。
 その屈辱は耐えがたく、私はさらに混乱し、自由を求めようとしたのですが、それ以上の力に抑えられ、どうすることもできませんでした。暴漢に襲われた無垢な少女のように、ひたすら耐え忍ぶしかなかったのです。
 何たる恥辱。
 これは尊厳への侵略ではないか。私の怒りも頂点に達し、悪魔が顔を覗かせようとしたとき、全てが無に帰したのです。
 隣人の一人が、私にノートと万年筆をチラつかせたのです。これは私が普段から愛用している万年筆で、父の形見でもあります。ノートの方はあなたへの告白を綴っている、まさにそれなのです。
 私の心はみるみる萎み、静まっていきました。自分でも不思議なほど穏やかなのです。幼い頃に見た、琵琶湖の湖面を思い出しました。鏡のようにツンと張りつめてキラキラと輝く湖面。私の心……、心だけじゃなく頭も体も平静な状態に静まっていました。
 やがて隣人たちは去り、私は自由を取り戻しました。小学生の頃、一度だけ母に抱きしめられたことがあります。そのときの感覚と、今が似ています。私はあなたに、良き母像を求めているのでしょうか。いや、それは違うでしょう。何故って、それは私の持っている記憶……良い記憶はこれだけなのですから。これとて、私自身すっかり忘れていたことなのです。

 私がどんなところで、どうやって生まれたのかは知りません。父も母も、何一つ語ってはくれなかったと思います。ただ私の記憶にあるのは、ものすごく暑かったことと、ものすごく寒かったこと。この二つのみです。
 私の記憶は飛び飛びで、本来なら人様に語れるほどのものなど何もないのです。長く続く闇の道です。暗く曲がりくねった道のカーブの、十回に一回の割合で明かりが見えるのです。
 一つ目の明かりは、下着姿でお酒を飲んでいる母を、父が叩いている場面です。母は一切の抵抗をせず、ただ人形のように叩かれるに任せていました。
 やがて母の唇が裂け、飛んだ血が私の左頬にべっとりとつきました。それはやけに粘っていて、鉄の匂いが強烈に私を刺激しました。
 二つ目の明かりは、母が知らない男の人を連れてやってきて、私が寝ているすぐ傍で裸体を重ね、苦しそうに呻いている場面です。母は知らない男の人に覆いかぶさられながら、一瞬私の方を見、微笑んだのです。
 三つ目と四つ目の明かりも似たような……人様に言えないような暗闇の中の明かりです。

 五つ目の明かりが、さっきも話した母が私を抱きしめてくれた記憶です。余所行きの服を着て、大きなカバンを持った母が、玄関先で振り返り、いきなり私を抱きしめたのです。母の目には涙がありました。私の目にも涙が浮かびました。
 母の抱きしめ様は、ものすごく強く、痛いほどだったのですが、心は、かつてないほど満たされていました。泣きながら満たされ続けました。渇ききった喉に、水を流し込んだ瞬間のように、私は喜びを感じました。
 母はこの日、家を出て行きました。
 六つ目の明かりは……父と私だけです。
 父が私に気を使ったのか、旅行に、琵琶湖に連れて行ってくれたのです。父と二人で乗るボート。そこから見た湖面の美しさに、私は魅了されました。吸い込まれてしまいそうな……いや、吸い込まれてしまいたい感動を覚え、私は泣きました。

 こんなものなのです。私の幼き日の真実など。陽炎のように儚く、水に映る月のように脆く、触れることが叶わぬのです。暗く長い道がどこまでも延び、それは今も続いているのです。
 
 学校へは、ほとんど行きませんでした。もともと病弱で、喘息もちだったということもあるのですが、理由はそれだけではなかったのです。
 厳格な父に抗うように、ぞんざいで淫らになっていった母。父の責めも、それに比例して激しさを増していきました。そして、父から母へと降り積もった悪の言葉が付くあらゆる発声は増幅され、実体を成し、私へと注がれました。
 はじめ、それらは母の愛情だと感じようとしました。けれども、そう思い込むにはあまりにも痛く、激しかったのです。
「僕はどこへも行かないよ。ずっとお母さんの傍にいるから……」
 それが私の口癖で、唯一の自己防衛であり、ただ一つの攻撃手段でもあり、また精一杯の愛情表現だったのです。
 そして、私の足は学校から遠のき、とうとう友人は一人もできませんでした。

 母が家を出たそのあとも、父の厳格さは一切変わることなく続きました。琵琶湖へ連れて行ってもらったとき以外には、父から優しさを感じることもありませんでした。
 ですが私は、痛みの日々からの解放に少なからずの満足を自覚していきました。父からの愛情を受けられないことよりも、母の手から逃れることができた悦びの方が、遥かに勝っていたのです。
 これは裏切りなのでしょうか。私は母親を裏切り、冷たく退け……そして、嘲笑っていたのでしょうか。
「僕はお母さんを捨てたんだ」
 そう思い、呟く。それが私の少年時代でした。それ以降、母と会うことは一度もありませんでした。




 彼が私の所へ来たのは一度だけでしたか。
 ああいう患者ですからね。
 多少の薄気味悪さはありましたが、会ってみると至って紳士なんですよ。
 驚きましたね。

          同病院 図書閲覧室職員 佐藤 剛
                 インタビュー①にて




 母なる海に抱かれて眠りたい。私は常にそう切望してきました。
 あなたに伝わるでしょうか――私が切望すればするほど、それは罪悪感となって私に向かってくるのです。地球全体が覆いかぶさっているような、とてつもない罪と、私は戦わねば、いえ、戦い続けなければならないのです。
 それでも……それでも私は、母なる海で眠りたいのです。
 ただもうそれだけなのです。




 マザーコンプレックス?
 彼がですか?
 確かにそういう傾向は多分に見受けられます。
 ですが、彼の罪は……母親だけに限らず、父親、いやもっと……言ってみれば人間全体に対するものでしょう。
 人間コンプレックスとでも言うのかな。

          同病院 精神科医師 木村 巧
                インタビューにて


 はい。私が治療にあたった吉村です。
 彼とは初対面でしたが、痛みに声をあげる事もなく、大人しかったですよ。
 分かり易く言いますと、左手の親指と人差し指の間を万年筆で刺し貫いたのですが、血管などにも損傷は見られず、縫合するのみで済みました。
 彼が何故万年筆を持っていたかですか――詳細は分かりませんが、形見の品だとかで、離すのを拒んだようですよ。持たせておいた方が拘束服を使わずに済むと、看守も言っていました。
 えっ。何故彼がこのようなことをしたかですって――そういう事は精神科の方に聞いて下さいよ。私は外科医ですよ。

          同病院 外科医師 吉村 裕一
                インタビューにて




 長く暗い洞窟の奥にいました。何時間も隣人たちによって自由を奪われ、意識すらも支配されたようでした。
 やがて、それらすべての拘束は解かれ、私は自由の身になれたのですが、あの万年筆は何者かによって盗まれていて、私の左手にはぐるぐる巻きに包帯が巻かれていたのです。包帯の奥の方からは、ズキズキと痛みが時計の秒針のように襲ってきました。
 私は隣人たちの手によって、何かをされたに違いありません。こんなことでは、ここに住む意味がありません。せっかくの防衛対策も、これでは砂の城同然です。私は引越しを考えようと思います。

 何をさておいても、目下の課題は手紙を書くことを再開することでした。ですが、私のどんな抗議に対しても、隣人たちは耳を傾けてはくれません。首を傾げたり、唾を吐きかけたりするのです。皆素知らぬ顔をして、自分たちの罪を隠蔽しようとするのです。私にはすべてお見通しだというのに。
 それでも私は、根気強く待ち続けました。あなたへの、この手紙の先を続けたくて、媚びへつらいもしました。そんな私を不敏に思ったのか、ある娘さんが小さな鉛筆をくれたのです。私は小躍りしました。喜び、そして早速今これを書いています。
 ああ、何という充実感。私は今、生を体中に感じています。私は、私は生きているのです。
 今度会ったらあの娘さんにも何かお礼をしなければと思っています。何をしてあげたら良いかと、部屋の中を見渡したりするのですが、これといったものが思いつきません。こんなとき、あなたが傍にいてくれたら、あれこれとご意見など伺うこともできたのに。残念でなりません。
 父……父に何かを相談できる環境にはありませんでした。もともと多忙な人でしたので、一緒に過ごす時間すら少なかったのです。
 父との明るい思い出は、先にも書きましたが琵琶湖のボートだけなのです。昔も今も、私たちの間には、どこにいても扉三枚ほどの隔たりがあったのです。父が亡くなるその瞬間だけが、私と父との間の障壁が崩壊し、温もりを確かめ合えた唯一の時間だったのです。
 私たちは、初めてお互いに見つめ合い、そして親子になれたのです。私は父の血に触れ、その流れと温もりを理解し、繋がりを確認したのです。私たちは紛れもない父と子でした。
 私は思い出しました。小学校へ入学したとき、そのお祝いに最新型の自転車を買ってくれた父。中学へ上がったとき、部屋に自分専用のテレビを買ってくれた父。高校、そして大学のときには車を……。
 私は父から様々な物を贈られていたんです。ただ一つ、母だけを私から奪い去ったのです。そして私を暗闇に放り込み、独りぼっちにしたのです。
 否、それは逆だ。母を遠ざけたのは私。私が仕組み、父から母を永遠に奪い、孤独な人生にさせてしまったのだ。
 果たして、父は昔から厳格な人間だったのだろうか。本当はもっと別な一面が前面にある人だったのではないのか。それを私という人間が誕生してしまったばかりに、厳格にならざるを得なくなってしまったんじゃないのか。
 そう思いました。
 当時の私が、今ほど人間らしくなれたなら、私たち父子の姿も違ったものになっていたかもしれません。ですが私には耐えられませんでした。別の世界が必要だったのです。

 二十歳になる少し前、私は父のお金五十万円を盗み家を出ました。当てなどありません。転がり込める友人知人も皆無でした。
 私にあるのは盗んだ五十万円に、自分で貯めてあった七万円と少しの、合わせて五十七万円あまりの現金と、父に買ってもらった乗用車。それ以外には何もありませんでした。それでも、その時に見上げた夜空の果てしなさに、限りのない自由を感じていました。
 はじめの幾日かは、当てもなく車を走らせて、疲れたらコンビニの駐車場で寝たりして過ごしていました。ある夜ふと、海を見てみたいと思い立ち、そのまま茨城の海岸まで車を走らせました。
 埠頭のようなところで夜を明かし、翌朝、多くの人の流れが向かう白い建物の中へ、私も入ってみました。そこにはフェリーの乗り降り口があり、いくつかのカウンターも開いていて、短い列ができていました。
 カウンターの上には北海道行きという文字が見てとれ、私は列の最後尾に並びました。然したる思いもありません。それは北海道の玄関口の一つ、苫小牧港へ向かうチケットの購入カウンターでした。こうして私の逃避行は、北海道まで一気に延びたのです。
 
 北海道へ降り立っても、行く当てがないことに変わりはありません。こうなったら北海道を一周してやろうと、のんびりとしたスタートを切ったのです。雪の時期ではなかったので、車の中で夜を迎えても、さほど苦にもなりませんでした。
 苦しかったのは、横になり目を瞑ると、父が現れてくることでした。あれほど逃げ出したくて堪らなかった父の厳格な顔。その顔が現れるのなら、振り払うことも容易かったのですが、何故か現れる父の顔は、優しく微笑みボートを漕いでいるのです。私はげっそりしました。それでも私は、私の逃避行をやめようとは思いませんでした。
 幾日目かに私は、地球岬という小さな寂れた観光地へやってきました。その日はあいにくの雨で、おまけに風も強く、人っ子一人見当たらず、売店もみなシャッターを下ろしていました。
 とんだ日に来たものだと思いながらも、気を取り直して傘を差し、風を押さえつつ、岬までの階段を登っていきました。風も少しずつ収まり、辺りは徐々に霧に包まれていき、それはそれで幻想的とも言えなくもない様相を呈してきたのです。けして気持ちは逸りませんでしたが、階段の登りは苦にならなくなりました。
 目的の場所まで来ると、霧は辺り一面を覆っていて、断崖の上にいることをまったく感じさせない、白の景色でした。海鳴りは遠くで聞こえるばかり。
 早々に立ち去ろうとしたときに、他にも誰かがいることに気がつきました。透明のビニール傘。その奥に、滲んで透けて見える長い黒髪。白いモコモコとした毛糸のセーターは、霧を纏っているようでボヤけて見え、それは女性のようでした。
 私は顔を見てみたくなり、何気なくその女性の視界に入るよう手摺り越しに移動し、霧で何も見えない岬を、尤もらしく眺めたりして待ちました。
 待つとは、相手の方から何かしら声でもかけてくれるのを、期待して待つという意味で、とてもとても私の方から声をかけたり、近寄ったりなど、小心者にはできるはずもありません。せいぜい女性の視界の中に入るように、こそこそとやるのが関の山なのです。

 してやったり。私の関の山が見事に聞き入れられたのです。
「こんにちは、あいにくのお天気ですね」
 と、確かそんなようなことを言われたと思います。私にはそれだけで、恋するに充分だったのです。久しく女性の声色に接していなかった私にとって、それは魔法のようでした。
 私より二つ三つ年上の(はっきり覚えていない)その女性は、名を籐子と書いて『とうこ』と言い、恥ずかしそうに俯くのです。肩より伸びた黒髪に、色白の肌が透き通るようで、私は小さな感動を覚えました。けして美人ではありませんでしたが、雨に濡れた髪先がこめかみ辺りに張り付いて、妙な色っぽさを醸していました。
 籐子は地元の女で、ここへはよく来るとのことでした。これは、あとになって聞かされたことですが、籐子が以前交際していた男が、この岬から身を投げて死んだのだそうです。その男とは結婚を誓い合った仲だったのに、何故一人で死んでしまったのか。理由も分からず、忘れることもできず、ただただ岬へ足を運ぶ日々だったそうです。
 あの日も――つまり私が初めて岬を訪れ、籐子に会った日のことです。籐子は、登ってきたときから私の存在に気がついていたそうです。青白い顔をし、髪はボサボサで、頼りなげに歩いている私を見て「ああこの人も」と思ったそうです。それで思い切って声をかけてみたのだと、旅宿の布団に包まりながら笑うのです。
 そのくせ私が冗談めかして「そうさ。地球岬というくらいのところだから、投身するのにもってこいだと思って来てみたのさ。さあ、いつしようか」などと言うと、色白の肌を赤らめ、本気で怒るのです。そして怒ったあとには決まって大泣きするのです。
 もちろん私は身投げなどするつもりは毛頭ないのですが、籐子が愛した身投げ男に嫉妬するような感情が沸いてきて、私の口を滑らすのです。私にだってできる。してやろうかと言ってみたくなるのです。

 籐子は良い女でした。それこそ、親身になって献身的に尽くしてくれました。私は寂れた宿街の外れにある二階建ての旅宿に部屋を確保してから、一週間が過ぎていました。宿の方へは、一人旅の長逗留ということで、変に勘ぐられても都合が悪いので、前金でお金は渡してありました。
 籐子は五キロほど下った街のスーパーに勤めていましたが、仕事が終わると、額に汗しながら急いでやってくるのです。朝の出勤前にも、できる限り顔を見せるようにしていました。部屋の襖を開け、私の顔を見とめるまでの籐子の顔は、必死そのものでした。そして私の元気な姿を確認すると、にっこりと微笑むのです。額に薄っすら浮かんだ汗や、胸を大きく上下させながら呼吸を整える様を、私は愛したのです。
 私にとって籐子が初めての女でした。この寂れた宿街の、小さな六畳間で、私は男になったのです。征服感のようなものは感じませんでした。籐子は私を優しく迎え入れ、私もそれに逆らうことなく果てたのです。
 白い肌と湿った肉体に、私は悩まされました。逗留も一週間が二週間……二週間が三週間に入っていました。さすがに同じ宿での連泊には気が引けたので、三週間目からは宿街の逆の外れの宿へと居を移したのです。
 今回も長逗留になることを見越して、私は宿帳に小説家と記入しました。そして、そそくさと街まで車を走らせ、原稿用紙を十冊ほど買い込んできたのです。
 それを尤もらしくコタツの上に置き、その脇に万年筆を転がしました。これは高校へ入学するときに父から貰った物で、ドイツ製のマイスターなんとかという代物です。インクすら入れたことのない万年筆でも、こうやって無造作に置いてみると、それらしく見えるものです。興味本位で訪れる何人かの仲居さんに、私は駆け出しの小説家であると吹聴しました。
 すると宿の女将がやってきて、――年の頃は七十過ぎでしょうか。多少シワの寄った着物を着崩した出で立ちで、恭しく頭を下げるのです。私といえば、だらしなく浴衣の胸元を開き、胡坐を掻いていたのですが、女将の年輪に押されて、慌てて挙を正したほどでした。
 女将が言うのです。
「大層な作家先生にお泊り頂いて、私どもも今後の励みになります。どうぞごゆっくりと御寛ぎの上、良いものをお書きあげ下さい」
 こうくるのです。
 私は辟易し、どっと汗が滲むのでした。
 女将は尚言うのです。
「つきましては、大変不躾なお願いなのですが、作家先生様のサインでも頂けましたら――当旅館に飾らせて頂き、今後の宝としたいと思っております」
 そう言って色紙を差し出すのです。金色に縁取られたその色紙を、私は受け取らざるを得なかったのです。このときほど、嘘とは恐いものだと身に染みたことはありませんでした。
 色紙を受け取ったのはいいのですが、私は重大なことに気がついたのです。コタツの上に今も転がっている万年筆。その中にインクは入っていないのです。インクの入っていない万年筆で書けるはずもありません。私はできるだけ気難しげな声色を作りました。
「今日はインクが切れた。これは明日書いてやろう」
 そう言って、女将を下がらせました。これでは父と同じ話し方ではないか。父は今、どうしているのだろう。私のことを探しているのだろうか。
 久しぶりに、籐子ではなく父のことを考え、その夜は眠りについたのでした。
 
 翌日は、逸る気持ちを抑え、昼少し前に宿を出て街に下りました。前回、十冊の原稿用紙を購入した同じ文具店で、万年筆用のインク瓶なる物を初めて買い求めたのです。色は黒。名前は……ケーキのような名前だったと思います。
 宿へ戻ると早速インクを入れ、原稿用紙の白紙側に何度も何度も練習してみました。ミミズが這うようなサインを心がけ、ついには形になり、色紙に清書しました。何箇所か滲んだところはできてしまいましたが、かえってそれらしく見え、我ながら上出来だったと思います。
 今すぐにでも、女将の元へ届けたい気持ちで一杯でしたが、私は夕食の膳が運ばれるまで待ちました。女将自らが給仕に立ち、昨晩とは違う着物でしたがやはり少しシワの寄った召し物で、私の世話を焼いてくれました。
 私は頃合を見て、色紙を取り出し、女将に手渡しました。女将はチラリと色紙に目を落とすと、深々と頭を下げ、部屋を出て行きました。そして、嘘つき作家の書いたサインは、その日のうちに待合室の壁に飾られたのでした。
 私は籐子には何でも隠さずに話していました。今回のことも包み隠さずでしたので、私の部屋へやってくるなり、作家先生、作家先生と、大笑いなのです。
「サイン見たよ」
 茶化しては、堪えきれずに吹き出す始末。私はさっさと宿を引き払いたいのですが、嘘つき作家の手前、そうもいかず、身動きがとれないのです。穴倉に追い込まれたウザギのように、ただただ身を震わせるしかなかったのです。

 四週間が過ぎた頃、私は籐子を連れて旅の続きを再開したいと思うようになりました。その思いは日を追うごとに増す一方でしたので、私はそれとなく籐子に聞いてみたりもしましたが、はぐらかされてばかりでした。
「うん。そのうちね」
「まだ行けないよ」
「仕事も急には辞めれないから」
 ……といった具合でした。
 体を重ねることは、ほぼ毎日でした。私も大人に成長し、籐子の喜ぶ部分や、し方も、習得するまでになっていました。籐子の体は、小さく何度か昇りつめたあと、絶頂を迎えるのですが、最近ではその瞬間に「殺して」と呟くように何度も言うのです。そしてきまって涙を二、三粒零すのです。
 死んだ男を思い出しているのでしょう。私はそれを見るたび、胸を締めつけられ、嫉妬に狂うのです。狂ってまた籐子を抱けば「殺して、殺して」と彼女もまた繰り返すのでした。
 私は籐子を愛していましたし、体の繋がりも捨て切れませんでした。たがための堂々巡りだったのですが、私はそれに訣別したのです。
 ある日の朝、私は宿に残金の支払いを済ませ、女将の「ご活躍をお祈りしております」という言葉を背に、山を降り、街を通り抜け、ノンストップで車を飛ばしました。私が引き払ったことを知った籐子は、いったいどうするのだろう。悲しく思ってくれるのか。私は涙が止まりませんでした。こんなに泣いたのは、生まれて初めてのことだったのです。




 彼がここへ来て百五十七日目のカルテを見ましたが、その頃から心身ともに正常を取り戻しつつあったようです。
 表情も豊かになり、看護士などに対してもよく話しかけるようになったとの事でした。
 はい。木村先生のカルテです。お辞めにならなくてもよかったのに――有能な先輩でした。

          同病院 精神科医師 森下 健二
                 インタビューにて




 どこをどう通ってきたのか、ほとんど記憶にありませんでした。気づいたとき私は、苫小牧の港町まで戻っていたのです。この街はフェリーを下りたところ。私の逃避行の出発点といっても良いくらいの場所です。
 私は帰りたいのか――自問自答してみても、心が見えません。自分自身のことなのに、さっぱり分からないのです。浮かぶのは籐子の顔ばかりという有様でした。私はここでもまた、穴倉のウサギだったのです。
 
 港の駐車場に車を停め、そこで二日間過ごしました。待てば答えがみつかる、そんな風に思っていたのかもしれません。三日目になって少し力が沸いてきたので、街を散策してみることにしました。
 潮の香りをそこいら中に纏った街。どこを歩いても、常に鼻孔を刺激する香りに、多少の疲れを覚えつつ散策を続けました。
 歩くうちにお腹が空いていることに気がつき、ラーメンなどを食べてみたのですが、味覚音痴になってしまったのか、満腹感のみで味などちっとも分からないのです。
 ラーメン店を出て右へ……そう、右の路地の方へ私は歩いていったのだと思います。そこに面白い名の喫茶店があったのです。店構えは、これまた寂れた感じなのですが、『笑われ者』という、コルク材のような板に墨書きされた店の名に惹かれ、扉を開けたのです。
 何の変哲もない店内に、年寄りのマスターが一人。客は一人もいませんでした。私は珈琲を頼み、ざっと店内を見回しました。ちょうど私の後ろにあたるところに、大きな木製の時計があり、大きな秒針が時刻を刻んでいました。
「ご旅行ですか」
 というマスターの問いに、大きく頷いて答え、サイフォンが落とす珈琲の滴をしばらく見つめてから、マスターに聞いてみました。
「面白い名前のお店なんですね。何か由来でもあるんですか」と。
 マスターは照れくさそうに顎鬚を摩りながら言うのです。
「私の人生の目標なんですわ」と。
 意味の分からない私に、マスターはうしろに掛かった額を指差して「お恥ずかしいですが私の目標とする人間像なんです」と、より一層顎鬚を摩るのです。
 私は珈琲を二口ほど飲み、苦味を頬張りました。それから席を立ち、額縁を見に行きました。それは大きな時計のちょうど横に飾られていました。そこには、毛筆で書かれた数行の詩のようなものがあったのです。


  笑われ者

 笑われる人は偉いもの
 笑われる人は優しきもの
 笑われる人は苦悩を経てきたもの
 笑われる人は人を笑わないもの
 それが私のなりたい、笑われ者


 私はいったい何十分その場に立ち尽くしていたのでしょう。
「こちらにいらっしゃいませんか」
 そう言うマスターの声で我に返ったのです。
「冷めてしまいましたね。新しいのを淹れましょう」
 マスターのその言葉に対しても、返事ができませんでした。
 私は無言のまま席につき、冷たくなった珈琲を一口飲みました。強い苦味が喉の奥まで刺激して、私を震わせました。
「どうかされましたか」
 マスターの心配する声に、私は慌てて首を振り、あの詩はマスターが書いたものなのかを聞いてみました。
「お恥ずかしい限りです」
 そう言ったきり、ただただ顎鬚を摩り、微笑むマスターなのでした。




 ほとんどのカルテをチェックしてみましたが、これといって気になるところ見当たりませんでした。
 彼は日を追う毎に回復の方向へ向かっていたようです。
 治療やカウンセリングにも、一切問題はないものと判断できると思われます。
 責任能力については、直接関わっていたわけではないので、何とも判断しかねますが、カルテを含め看護婦や看護士、看守などに聞いた話などから推測……あくまで私の推測の域ですが、当初彼は、自分が犯した罪をまったく理解、いや認識と言った方がいいでしょうか――していなかったと思われます。
 ここでの適切な治療と、カウンセリングなどの効果もあって、徐々に回復して……この場合の回復とは、犯した罪に気付き、理解し、認識していくといった意味合いですが、徐々にそうなっていったものと思われます。

          同病院 精神科医師 森下 健二
                インタビュー②にて




 結局私はフェリーに乗船し、来たとき同様、船酔いに悩まされつつ帰ってきたのでした。お金も底をついていて、そうなるとより一層侘しく、隙間風が弱さを露呈させるのです。
 私はなんと脆く罪深いのでしょうか。母を追い出し、父を孤独にし、そしてまた、籐子をも置き去りにして……いつも私一人だけで逃げているのです。いったいどこまで行けば終わりがくるのか。このときの私には分かりませんでした。

 給油メーターに赤いランプが灯るころ、私は実家へと戻ってきました。門灯が灯っているのを見て、私は挫けそうになりました。それは父の在宅を意味していたからです。
 玄関前でしばらく足踏みしていた私は、意を決して多少乱暴に扉を開け、無言で二階の自分の部屋へと逃げ入ったのです。
 父の声は一切聞こえてはきませんでした。
 やがて数時間が経ち、空腹感を覚えだしたころ、階下から父の声が届いたのです。ですがそのトーンは、予想に反して物静かなものでした。
「とやかくは言わない。お前ももう大人なのだからな。その代わり、私から盗んでいったものはきっちり返せ。いいな」
 それだけでした。

 私と父との距離は、近づくどころか、より一層離れるばかりのように思われます。私は息苦しくて、今にも窒息してしまいそうです。
 怒りもせず、責めもせず、ただ金を返せとは、なんという仕打ちなのでしょうか。血の繋がりとは、このようなものなのでしょうか。
 籐子に会いたい。あの無垢な微笑みを全身に浴びたい。そして、湿った肌に身を任せて、どこまでも落ちていきたい。籐子、籐子。私に空を飛べる羽があったなら、今すぐにでも飛んでいくだろう。どんなに傷つき、疲れ果てたとしても、安楽の地で休めることが分かっているなら、私はなんの躊躇いもなく羽ばたくことだろう。

 けれどもそれは、永遠に叶わぬものとなりました。私が籐子を欲していたちょうどそのころ、彼女は身を投げたのです。そしてその時点から、私の籐子ではなく、過去の男のものになってしまったのです。
 私は一人。
 私は独り。
 母なる海に抱かれて眠りたい。それが私の望みです。そんな私に籐子はオアシスを与えてくれました。
 ですが、父の乾ききった砂漠には、到底太刀打ちできなかったのです。


 ――私は今このとき、はっきりと思い出すことができました。
 ここは独居房。
 私は二〇七と呼ばれる半人間。笑われることもされない者。

 あの日、私は部屋に居て、父とは相変わらず一言も言葉を交わしていませんでした。
 夕闇が部屋に陰りを見せ始めたころ、私は父から貰った万年筆にインクを充填しました。そして階下に下り、居間で新聞を読んでいた父の喉に突き刺しました。
 
 今ではすべてが鮮明に思い出されます。誰か教えてください。私は人間なのでしょうか。彼も人間なのでしょうか。否。
 私は思うのです。私も、そして彼も半人であると。
 お父さん、すみませんでした。
 お母さん、ごめんなさい。

 それでは、さようなら。






    あとがき

                     著者 猫


 ……以上が、彼が私に手渡したノートの全てです。いくつかの抜粋やインタビューは、ファイルや保存テープなどから私自身が勝手にピックアップして挟み込んだものです。
 ですので様々な問題や利害関係、プライバシーにも触れてくる事柄です。そういった事情により、病院名や個人名、著者の名前も含めまして仮名とさせて頂きました。

 私自身の事を少し書かせて頂きますと、青葉病院(仮名)を退職後、都心にある某病院へ再就職したのですが、長くは続かず、逃げるように郷里へ帰りました。あまりにも強烈な出来事が多くて、自分自身を取り戻すのにまだ戸惑っています。
 彼は何故私にノートを渡したのでしょうか。そこには、ただ渡すという事ではなくて、託すといった意味合いが含まれているのでしょうか。
 だとしたら、何故私なのか……この自問は、ノートを渡された直後から今なお続いています。もしかしたら、もう一生答えは出ないのかもしれない……。

 私にノートを手渡した翌日、彼は亡くなりました。自ら命を絶ったのです。
 大騒ぎの院内は、二〇七号室へ行くにつれて、白衣また白衣の群れで埋め尽くされていました。
 私は出勤したばかりで、まだ私服のままでしたが、構わずに走りました。白衣の波を掻き分け掻き分けし……チラッと、ほんの一瞬彼を見る事ができました。
 乳白色の壁に背を凭せ掛けるように座り、両足を広げ、右手を膝の辺りにおいた姿。左手で喉を押さえるように、何かを突き刺している姿。赤く染まった人。
 ちょうど彼が凭れ掛っている壁の上に、小さな窓があり、そこから朝日が光の帯となって伸びていたのです。舞い上がった埃の粒がキラキラと輝いて、まるで死者を迎えに、天使が舞い降りてきたようでした。
 凄惨な場面のはずなのに、誰一人として悲鳴もあげすに、静まり返った空間が広がっていました。

 私はけっして自殺を肯定している訳ではありません。どちらかと聞かれれば、声を大にして否定します。でも、この一瞬の場面を目の当たりにして、最初に浮かんだ感情は、なんて綺麗なんだろう――でした。だから私は、何の関わりもない人……罪を犯した彼に、少しだけ関わってみようと思う気になったのです。
 彼から渡されたノートを、私は密かにデスクの鍵付きの引き出しに仕舞っていました。それを、彼の死からちょうど一週間が経った頃に開きました。何度も何度も読み返し、できる限りそのままの形で発表したいと思うようになりました。
 今思い返してみると、そこには私自身の様々な欲が多分に含まれていたと言わざるを得ません。作家になれる……、お金持ちになれる……、大きな家を買えるかもしれない……、有名人の仲間入り……。そういった思いが渦を巻いて私に絡まっていました。
 あれだけセンセーショナルに報道され、テレビでも毎日のように騒がれたので、ご記憶の方も多いと思います。親殺し――。当時私の読んでいた週刊誌にも、大きな見出しで何週にも渡って特集させていました。
 親殺し――何もかもが麻痺してしまったような今の世の中では、けして珍しいニュースではないと思います。それこそ、毎日のようにニュース番組の中から聞こえてくる「親が子を……」「子が親を……」。
 なのに、どうして彼の親殺しだけがここまで取り上げられ、騒がれたのでしょうか。私には難しすぎて、こうだと言えるほどの答えは持ち合わせていません。ひょっとしたらすごく単純で簡単なものなのかも知れません。それを、麻痺した私達現代人はあれこれと過剰摂取して、答えを見失っているのかもしれないと思います。
 ただ、一つだけ感じたことは、誰の心の中にも彼がいるという事です。彼に見た優しさ、労り、憎しみ……悲しみや怯えや殺意に似たものまで、誰しもが持ち合わせているもの。たとえ無意識にでも、彼という人間の中に自分を見る思いがして、だからここまで話題になったんじゃないのかと、私は思います。
 じゃあ何故彼は一線を超え、自らの命まで絶ってしまったのか。それは彼が純粋で、子供のように空の下で生き、世の中に迎合することなく歩んできたからなのだと思うのです。

 彼のノートの内容に、支離滅裂さは見受けられませんでした。時間軸のズレを感じる部分はいくつかありましたが、彼にとってそれは正しい事だったのかもしれません。
 このノートを読んでみると、病院へ来た事や、罪を犯した事を覚えていない……気が付いていないかのような内容です。だからこそこの病院へ来たのだとも言えるのですが、それでも私から見て、彼は正常に見えましたし、とても紳士的でした。
 彼の書いたエピソードの中に、桜の事が出てくる箇所があります。
「――今、目の前に桜の小枝があります。可愛そうに、折れて落ちているのを見つけ、忍びなくて持ち帰ったのです。力なく萎びていたので、泡盛を少し入れたコップに刺してみたところ、みるみる元気に上を向き、七部咲きを見せてくれています。花も酔うことがあるのですね」
 こういう優しさを、私達は持っているのに忘れてしまったり、表に出すのを恥ずかしく思ったりしていないでしょうか。
 泡盛の中に入れてしまうところは、まさに子供の悪戯だと言えますが、その悪戯の中にも命を救おうとする方向性が見てとれます。その前後に彼自身が犯したこととは正反対の行動なのです。ですから余計に、この桜の小枝のエピソードと、その後に出てくる二羽の小鳥の話が、生々しい優しさと言いますか、妙に真実味を持って心に突き刺さったのです。

 彼のノートの核心の部分。つまりこの告白文を渡したかった相手『あなた』のことです。籐子さんという女性は、このノートにもある通り、亡くなられていました。
 『あなた』については、探すべきなのかどうかを私自身かなり悩みました。ですが、やはりこのノートが存在している以上、私は『あなた』という人へ届けるのが良いと判断しました。
 実際『あなた』探しは骨の折れる作業でした。それは勝手な先入観が、スタート地点からして誤らせてしまったのが大きな要因だったのです。
 私は初め、籐子さんのような女性を探しました。生前の彼の交友関係から、彼の父親の葬儀に参列した人たちにまで捜索の幅を広げました。捜索と言っても、素人が一人でやったことですので、たかが知れていますが。
 そして、初めは見落としてしまっていたところから答えは見つかったのです。それは彼の父親の葬儀に参列した方々の弔問リストの中にあったのです。

 『あなた』は、現在中野区に住まわれていまして、年の頃は六十歳を過ぎたように見受けられました。私の突然の訪問にも、嫌な顔一つせずに、最後まで私の話を聞いて下さいました。
 そして私はノートを渡し、このような本を、勝手ながら書かせてもらっている事への了承も得ることができました。
「なにかのお役に立つのでしたら」
 ……と、彼女は涙を流しながらおっしゃって下さいました。
 私達は日が暮れるまで、取り留めのない話をし、そしてお暇しました。
『あなた』との会話の内容を、ここに書こうとは思いません。
 彼女は帰り際に、玄関先で私に言いました。
「あの子は……いえ。何でもありません」
 皆まで聞かなくても、私には気持ちが痛いほど伝わってきました。

 彼が告げたかった告白文は、母親の元へと届けることができました。
 あのノートを開くのも、開かずに捨てるのも彼女の自由です。
 ですが私は、彼女は開いて読んでくれると思います。それは彼女にとって大きな苦痛となることでしょう。でも私の会った彼女は、紛れもなく母親でした。
 彼は書いています。
「私は人間なのでしょうか――私も半人である」と。
 そして彼は、こうも書いています。
「彼も人間なのでしょうか――彼も半人である」と。
 これは、ある一人の男性の一生です。
 その長い時間の、ほんの一瞬に関わることになってしまった私が、彼の言葉をできる限り変えずにそのままの姿で形にしたものです。
 これは彼の著書なのです。




               完






あの川の向こうへ 「二十五、エピローグ」






      二十五、エピローグ




 トモキは二番橋から夕日を眺めていた。
 ポケットからキーホルダーを取り出すと、夕日に翳してキラキラと輝く、ブルーのイルカの光を楽しんでいた。
「おまえ、またそれかあー」
 ミチがそう言って近づいてきた。
「今帰りか?」
 トモキはキラキラと輝くキーホルダーから目を離さずに聞いた。
「まーな。 このところ練習きつくってな」
「そっか。 おまえも大変だな」 
「しょうがないさ、好きで入ったクラブだからな」
「それもそうだな」
 二人は笑い出した。
 トモキもミチも中学二年生になっていた。
 ミチと二人で、せん川を冒険したあの頃。恭子からの別れの手紙を読んだあの日。全てが遠い昔の出来事のように思われた。
 中学に入ると、ミチはサッカー部に入部した。トモキは特に何もしていなかったが、四郎が昔塗ってくれた自転車がくたびれてきていたので、先日自分で塗り直した。
 恭子が住んでいた三〇二号室には、新しい住人が引っ越してきていた。
 あの頃は、とても大きな橋に見えた二番橋も、中学生になったトモキの目には、とても小さいものに見えた。
 
「そう言えばさ明日転校生が来るみたいじゃんか、どのクラスに来るんだろうな。 可愛い女の子だったらいいよなー」
 ミチは照れながら言った。
「なーに言ってんだ、おまえは。 それに何で照れてるんだよ」
 トモキがからかうように言うと、ミチは急に真面目な顔になって言い出した。
「俺のことはどうでもいいの。 おまえはどうなんだよ」
「どうって、何が?」
「まだそのキーホルダー持ってたんだな。 ってことは、もしかしてお守りもか?」
 トモキが持っているブルーのイルカを見てミチは言った。
「さあ、どうかな」
 トモキは、はぐらかしたが、恭子からの手紙が入ったお守りは、今でもしっかり首からさげていた。中には今でも、恭子からの二通の手紙が入っていた。
「トモキ、もういい加減忘れろよ。 時間はどんどん進んでるんだぞ。 見ろよ」
 ミチは、せん川を指さした。
 ミチの言いたいことは痛いほど分かっていた。世の中の全てのものが、そのまま変わらない状態でいることは不可能なのかもしれない。それはトモキにも分かっている。
 でも恭子への想いは、今も冷めることがなかった。
「わかってるって」
 トモキには、そう答えるのがやっとだった。
「まーな、俺もおまえの気持ちは分かってるけどさ」
 ミチはトモキの肩を叩いた。
 二人はしばらく二番橋から、沈む夕日を眺めていた。二人の目には、とても痛々しい姿へと変貌してしまった、せん川が悲しかった。
 いったん中止になった工事は、二年後に再開され、今ではすっかりコンクリートに覆われた上を水が流れる『もの』になり果てていた。
「あの日が懐かしいよな」
 せん川を見つめながら、ぽつりとミチがつぶやいた。
「ああ」
 ミチと冒険したあのトンネルは、今では綺麗にふさがれていて、当時の面影すらなくなっていた。それどころか、商店街に並ぶ店の数も、日に日に減ってきていた。噂では、道路の幅を広げて、大きなショッピングセンターが建つらしかった。
「何もかも変わっちゃうのかな」
 トモキはブルーのイルカをゆらゆら揺らしながら、誰に言うともなくつぶやいた。
「変わらないのは、おまえの想いだけだな」
 ミチが言った。
「からかうなよ」
「からかってないよ。 ほんとにそう思ってんだよ。 何たって長い付き合いだからな俺たちは」
 そう言うと、下に置いてあったカバンを取り、帰ろうとトモキを促した。
「まだ帰らないのか?」
 トモキはもう少し二番橋からの景色を……せん川が、本当のせん川だった頃の景色を思い出していたかった。
「ああ、俺はもう少しいるよ」
「そっか。 じゃー俺先帰るわ。 明日も朝練があるからさ」
 そう言うと歩き出した。橋を渡りきったところで振り返ると、ミチは遠くを見るような目をして言った。
「また冒険したいな。 ……したいよ」
 そう言うと、手を振って帰っていった。
 ミチの後ろ姿を見送りながら、トモキも同じ事を考えていた。あの時に無性に戻りたかった。無邪気に、無謀に、何にでもがむしゃらになっていたあの頃に。

 日が沈みきるまで二番橋の上にいたトモキは、暗くなってから家へと帰った。
 家に入る前に、ポーの小屋へ行くと、エサと水を換えてやった。トモキが中学生になった時に、今までよりも帰る時間が遅くなるからと、信子と相談して朝出かける時に入り口を開けっ放しで行こうと決めていた。そうすればポーも自由に出入りができるから遅くなっても安心だった。
 でもここ最近はポーの小屋は締めっぱなしになっていた。何故かというと、ある日いつものようにポーの世話をしに小屋に行ってみると、そこにはポー以外にもう一羽鳩がいた。
 はじめは他のオスが小屋を横取りしに来たのだと思ったが、良く見てみるとそれはメスの鳩だった。その証拠に、今まで見たこともないほど、うっとりとした目のポーがしきりとメスの鳩に寄り添っていた。
 トモキはそっと入り口を閉めると、急いで信子を呼びに行った。信子と二人で眺めながら、しばらくは締めっぱなしにしておこうと決めたわけだ。
 今日もポーはメスの鳩に寄り添っていた。
「ポーはいいなあー、好きな相手がそばにいて」
 そう言って微笑むと、トモキはいつまでもポーとメスの鳩を眺めていた。

「おはよー」
「おう」
 いつもの朝の挨拶に、いつも通りに答えると、トモキは自分の席に座って眠りだした。一年生の時は、ミチが同じクラスだったので、年中しゃべっていたが、二年生になると違うクラスになってしまったので、あえてクラスの中でしゃべる相手を探さなかった。
 おかげで、二年生になってから朝のこの時間は、いつも寝るのがトモキの習慣になっていた。チャイムが鳴り、担任の先生が入ってきて挨拶を済ませると、トモキは再び机に突っ伏して眠りだした。
 トモキの席は一番後ろだったので、そんな大胆な習慣が身に付いても、大して怒られもせずに、今日までこの調子だった。

 担任の先生の話す声が、遠くで聞こえていた。トモキはいつものように微睡みながら、その声を聞いていた。
「みんな……転校生……」
 ミチが昨日言っていた転校生は、どうやらこのクラスに来たんだな。ミチはさぞ残念がるだろうなと、ミチの顔を思い浮かべて、トモキは微睡みの中で笑っていた。
「……から引っ越してこられて……それ……自己紹介……」
 トモキは興味をそそられて、微睡みの中から抜け出すと、眠い目を擦りながら顔を上げてみた。
 そこには女の子が立っていた。制服が間に合わなかったのか、前の学校のセーラー服姿のその転校生は、長くて綺麗な黒髪をしていた。
 その転校生はトモキに気付くと、にっこりと微笑んだ。
「はじめまして、河合恭子といいます。 よろしくお願いします」
 転校生が持つカバンには、ピンクのイルカのキーホルダーがゆらゆらと揺れていた。







- 完 -





あの川の向こうへ 「二十四、告白」






      二十四、告白




 なぜ恭子は突然転校していってしまったのだろう。何か分かったらクラスに報告すると言っていた山田も、結局あれ以来何も言わなかった。
 もしかしたら恭子が帰ってきているかもしれないと思い、トモキは何度も三〇二号室のドアを叩いた。でも結局、恭子に会うことはなかった。
 そのうち、なぜ突然引っ越していかなければならなかったのかが分かった。それは、トモキが二番橋でイルカのキーホルダーを夕日に翳している時だった。老人がトモキに話しかけてきた。
「君は、よくここから川を眺めているね」
 老人の髭は、とても白くて印象的だった。
「川は好きか?」
 そう尋ねる老人の顔は、とても寂しげに見えた。トモキは頷くと、再びイルカのキーホルダーを夕日に翳した。
「ほほお、綺麗なものじゃな」
 老人の、まるで子供のような言い方に、トモキは思わず笑ってしまった。
「ほほ、わしにも貸してくれんかの」
 笑いながら手を差し出す老人に、トモキはキーホルダーを手渡した。老人は、トモキが今までやっていたのと同じように、夕日に翳してブルーに輝くイルカを眺めやった。
「綺麗じゃのう。 汚れきったわしのような老いぼれには眩しすぎるわ」
 やっぱり老人の顔は寂しそうだった。
「大切なものを貸してくれて、ありがとうよ」
 イルカのキーホルダーは再びトモキの手の中へと返った。
「おじいさん、なんで大切な物ってわかったの?」
「君の顔を見ていればわかるわ」
 老人の横顔は微笑んでいた。微笑んではいたけど、やっぱりどこか寂しそうに見えたので、トモキは思い切って聞いてみた。
「おじいさん……おじいさんは何で寂しそうな顔をしているの?」
 老人は少し驚いた顔をすると、トモキに向き直って微笑んだ。
「寂しそうに見えるかのう?」
 老人は、目をつむると何度か頷いた。
「そうじゃな。 きっとそれは、この老いぼれが今まで生きてきた中で、傷つけてしまった多くの人たちに対しての、後悔がそうさせているんじゃよ」
「傷つけたの?」
「そうじゃ。 この川を見てみい」
 トモキは老人に促されて、せん川のいつもの流れを見た。その流れは、いつもと変わらずトモキの目の前にあった。
 二番橋から西側に見える風景は、工事の跡で様変わりしてはいたけど、その工事も二番橋までは届かなかった。
「この川が工事で破壊されようとしていた事は君も知っとろう」
 トモキは老人の静かな懺悔の声を黙って聞いていた。
 そしてトモキも知ることになった。恭子が何で急に引っ越していったのかを。

 せん川の護岸工事を請け負っていたのは、恭子のお父さんの会社だった。せん川の工事が中止になった事によって、会社が大変な事になり、夜逃げ同然で引っ越していったんだろうと老人は言った。
 何故そんな事を知っているんですかと問うと、老人は遠くを見るような寂しげな目をすると、絞り出すような声で言った。
「それはの、ワシらがそうさせてしまったからじゃよ。 この老いぼれのせいじゃ」
 白くて綺麗な髭が、何だかしょんぼりしているようにトモキには見えた。
 それ以来、この老人と会うことは一度もなかった。
 何ヶ月か経ったある日、トモキが二番橋からせん川を眺めていると、その先の方に見える家の前に、大きな花輪がいくつも見えた。 夕日に照らされてか、電気がついているのかは、ここからでは分からなかったけど、二つの提灯に、仄かな橙色が灯っていた。
 それを見て、何故かは分からなかったが、トモキには何となく分かった。あの白い髭が印象的だった老人も、四郎のいるところへ行ったんだと。トモキは二番橋の上から提灯をいつまでも眺めていた。
 結局、恭子の居所は何も分からなかった。
 信子に聞き、山田にも聞いてみたが、誰も教えてはくれなかった。
 首からさげたお守りの中には、何度も何度も読んだために折り目が切れかかった恭子からの手紙が大切に仕舞われていた。
 二番橋の上で、トモキはひとりぼっちを感じていた。
 白髭の老人が悲しかった。
 恭子が悲しかった。
 よりくっきりとした橙色に灯った二つの提灯の間を、喪服を着た人たちが往き来していた。
 トモキがそろそろ帰ろうとした時、ミチが自転車でやってくるのが見えた。トモキは手を振ると、ミチが来るのを待っていた。
「トモキー、探したよ」
 ミチは息を切らせながらそう言った。
「なんだよ。 何かあったのか?」
「何かあったじゃねーよ。 いいから来いよ」
「なんだよ?」
 ミチに促されるままトモキは自転車に乗ると、ミチの後につづいた。
「おーい、何があったんだよ」
 ペダルを漕ぐ足を速めてミチに追いつくと、トモキは訳が分からないと言う風に聞いた。
「いいから、『てんま』に行くぞ」
「『てんま』……なんで?」
「いいから!」
 そう言うと、ミチは全速力で自転車を『てんま』へと走らせた。トモキも、しょうがなく全速力でミチの後を追った。

 やがて二人は、『てんま』で自転車を降りた。辺りはすっかり暗くなっていた。電気の灯った『てんま』を見るのは、トモキもミチも初めてのことだった。
「なんか、はじめてきた店みたいだな」
 ミチは呑気にそう言った。
「おーい、そんなことより何だよいきなり」
 トモキは抗議の声を上げた。
「あ、ごめん……いっ、いいからさ、『てんま』の中へ行けよ」
 ミチはいきなり訳の分からないことを言った。
「なんだよそれ?」
「いいから、いいから。 じゃーおれ帰るからさ。 な。 ぜったい行けよ」
 訳の分からないことを言うと、ミチは強引に帰っていってしまった。トモキは、その背中に抗議の声を上げたが、ミチが見えなくなってしまうと『てんま』を見て一瞬考えたが、やがて入っていった。

「いらっしゃーい」
 『てんま』のおばちゃんが、いつもと変わらない声で迎えてくれた。トモキはミチに言われて『てんま』に入ったはいいが、何をして良いのか分からなかった。
 しょうがなく駄菓子をいくつか選んでいると、『てんま』のおばちゃんがトモキの名前を呼んだ。
「あんたは、もしかして織田知希君かい?」
 トモキはビックリして『てんま』のおばちゃんを見た。
「なんで、おばちゃん知ってるの。 おれ名前言ったことあったっけ?」
 『てんま』のおばちゃんは、良かったと一言いうと、ほっとする様な顔を、見せ店の奥へと入っていった。
「どうしたの?」
 トモキは訳が分からないと聞いたが、返事は返ってこなかった。
 『てんま』のおばちゃんが奥へ行ってしまったので、トモキは十円をおばちゃんがいつも座っているところへ置くと、ふ菓子を食べ始めた。三分の二ほど食べ終わった頃になって、『てんま』のおばちゃんはやっと出てきた。
「十円そこに置いたよ。 それより何? いったいどうしたの」
 おばちゃんは、トモキが置いた十円を、いつもお金を仕舞っておく、木で出来た引き出しへと放り投げると、手に持っている四角い箱をトモキに差し出した。
「随分経っちゃったけどね、これをあんたにって頼まれていたんだよ」
「えっ、おれに? だれが?」
 受け取ったその箱は、手のひらに収まるくらいに小さくて、柔らかい紙の箱だった。
「えっとね、ここに紙があったんだけど……えーと、これこれ」
 そう言って白い紙切れを取り出すと、メガネをかけて、河合恭子という女の子から頼まれたことを教えてくれた。
「恭子が! え……でもなんで」
「何でかは聞いてないけどね。 もう何ヶ月も前になっちゃったけどさ、泣きながら頼むもんだから、断れなくってね。 来る男の子みんなに名前聞いたけど……あんた来ないから、こんなに遅くなっちゃって」
 トモキは呆然としていた。何がなんだか分からなくなっていた。
「よく分からないけど、あんまり女の子泣かしちゃダメだよ」
 『てんま』のおばちゃんの、その声が響いていた。泣かしちゃだめだと……恭子は泣きながら『てんま』のおばちゃんに、この箱を渡してくれと託したんだ。
 そう思うと、その時の恭子の気持ちを思うと、トモキは、心に小さな穴が無数に開いていくような、とても辛い気持ちになった。
 どうやって『てんま』から家へと帰ったのか記憶になかった。気がついた時には椅子に座り、恭子からの小さな箱を手に持っていた。
 その小さな箱は、手のひらに乗るほど小さな、柔らかい紙で作った箱だった。クリーム色の厚紙を、恐らくは恭子自身で切り合わせて作った、小さな箱だった。ピンクのリボンで十字に結ばれていて、箱の上で蝶々結びがされていた。
 トモキはゆっくりと結び目をほどくと、箱を開けた。そこには折りたたんだ手紙が入っていた。小さな箱ではあったけど、手紙以外にも何かを入れようとして、この大きさにしたんだろうということは、トモキにも分かった。でも、それは入ってはいなかった。考え直して、恭子自身が持っていったんだと思うと、トモキは泣きだしてしまいたい衝動にかられた。
 それを一生懸命に抑えると、手紙を開いた。そこには紛れもない恭子の字が広がっていた。トモキは久しぶりに恭子に会って、話しているような気分になれて嬉しかった。
 手紙の書き出しには、一度織田君へと書いて、それを書き消した後に、知希君へと書き直して始まっていた。

   織田君へ  知希君へ 
 ごめんね。
 ほんとに、ごめんね。
 わたし急に引っ越すことになっちゃったの。
 パパのお仕事の都合で、どうしても引っ越さないといけないの。
 ごめんね。
 せっかく知希君と仲良しになれそうだったのに。
 せっかくこれからいっぱいいっぱい遊べるって思ってたのに。
 ぜんぶダメになっちゃった。
 わたしね、知希君には笑われるかもしれないけどいろんな事想像してたんだよ。
 一緒に学校に行ったり帰ったり。
 日曜日にはお弁当を作って、知希君の自転車の後ろに乗せてもらってピクニックに行くの。
 それとね……それと、ううん何でもない。
 色々なことを思ってたんだけど、全部ダメになっちゃった。
 知希君にこの手紙をどうやって渡そうかって考えたんだけど、時間がないからてんまのおばちゃんに頼んでみることにします。
 どうか、知希君が受け取ってくれますように。
 それから、わたしが下駄箱に入れたお手紙のことは忘れてね。
 知希君の気持ちも考えないで、あんなことしてごめんなさい。
 知希君のことが転校してきてからずっと好きでした。
 でもお別れですね。
 ほんとうに、ごめんね。
 さようなら。
           河合恭子

 最後の方は、恐らく恭子が流したであろう涙のせいで、所々滲んでいて読みにくかった。
 読み終わったトモキの目にも大粒の涙が溢れてきて、止めることができなかった。
 机の上にあるブルーのイルカが、とても悲しかった。





つづく









あの川の向こうへ 「二十三、昨日」






      二十三、昨日




「わかるか? ここの書き順は間違えやすんだからな。 しっかりノートに十回書いておけ」
 山田の声が教室に響いていた。みんな黒板とノートを交互に見ながら鉛筆を走らせている。
 トモキは、鉛筆を口と鼻の間に挟みながら校庭を眺めていた。ミチとの冒険は、途中で引き返すという結末になってしまったけれども、それでも二人とも何だか大人になったような気分だった。ほんの少しではあったけど、目線が今までよりも高くなったようで、世界が違って見えた。
 ミチは翌日学校に来ても、まだ興奮している様子で、友達を集めて大冒険の話を繰り広げていた。真っ暗なトンネルに二人で挑んだとか、大ネズミと戦っただとか、まるで海賊船の船長にでもなったかのような内容だった。トモキは、ミチの話を聞いていて可笑しくてしょうがなかった。でも、身振り手振りで話しているミチの顔は、とても生き生きとしていた。
「なーなー、なんかさ、おれたちってすごくない」
 冒険談を話し終えたミチが走ってくると、そう言った。
「なんだかさ、何でもできそうな気分だよな」
 興奮しきったミチは、目をキラキラさせていた。でも確かにその通りだった。トモキも全く同じ気分で冒険後の日々を過ごしていたからだ。
 そんなことを思い出しながら、鉛筆を口と鼻に挟んで校庭を眺めていた。
「こら織田、なに黄昏れてんだー」
 耳元で聞こえた声に振り返ると、山田が隣に立っていた。
「ちゃんと十回書いたのか?」
 何も書いていないトモキのノートを覗き込むと、山田はため息をついた。
「どうした? 今日は元気ないぞ」
 トモキは一瞬どうしようかと思ったが、思い切って山田に聞いてみることにした。辺りを見まわすと小さい声で聞いた。
「恭子……いや、河合はどうしたの?」
 山田は恭子の席をチラッと見ると、トモキに向き直り、トモキを真似て小さな声で言った。
「うーん、風邪だという連絡は受けているんだがな。 それにしても長いな」
 そんな事を考えていたのかという顔になりながらも、山田は教えてくれた。
 恭子は、トモキがミチと冒険に行くよりも前、トモキが久しぶりに学校に来た時から休んでいた。トモキにとっては、ずっとずっと前から会っていない状態だった。キーホルダーのお礼も言わずじまいになっていたし、それよりも何よりも手紙の返事をしたかった。
「おまえ、様子を見に行ってくるか?」
 山田が冗談とも本気ともつかない顔でそう言うと、笑いだした。
「せんせーうるさいよー」
「おー、ごめん、ごめん」
 教室中から抗議の声が挙がると、山田は謝りながら教卓へと引き返していった。
 トモキはノートに向かうと、急いで漢字を十回書いた。書き終わって鉛筆を置くと、さっき山田が言ったことが蘇ってきた。
 様子を見に行く……考えてもいなかったことだった。そう言えば、恭子が夏休み前に風邪で学校を休んだ時に、山田に頼まれて一度行ったことがあったのだ。急にその時の光景が頭と心に蘇ってきた。清楚で、とても美人な恭子の母親の顔。恭子が居ないと告げられて、一気に奈落の底へと落ちていったあの時の気持ちまでもが蘇ってきた。
 トモキは、首を左右に振って嫌な思い出を振り払うと、初めて恭子と二人っきりで話した時のことを思い描いた。顔を赤らめて、咳をしながら坂を下りてくる恭子の顔が蘇ってきた。トモキはドキドキしながら恭子の顔を見ていた。街路灯の下で、ほのかな温もりに照らされた恭子の顔がとても眩しかった。
 あの時、恭子はトモキの自転車が格好いいと言ってくれた。その時は、とても恥ずかしかったけど、今ならトモキ自身にも胸を張ってそう言えた。そのことを、一番に恭子に言いたかった。
 授業の終わりを告げるチャイムの音で、トモキは我に返った。そして、決心していた。今日の放課後、恭子の住むマンションへ行ってみようと。そう思うと、居ても立っても居られなかった。でもまだ、下校までには二時間の授業が残っていた。
「トモキー、また違う冒険を考えようぜ」
 前の席に後ろ向きで座ると、まだ興奮冷めやらぬ声でミチが言った。
「そうだな」
 トモキは恭子のことを考えるのをとりあえずやめ、ミチの顔を見た。
「そうだなって……やけに冷静だなー」
「そうか、そんなことないぞ」
 トモキはいたって冷静に答えた。
「いや……あっ、わかったぞ。 恭子だろー」
 ミチは、目を一回り大きく見開くと、ニヤニヤしだした。
「ちがうよ」
 トモキは慌てて否定したが、あとの祭りだった。
「いいから、いいから。 そういえばトモキくんは恭子ちゃんにずーっと会ってなかったもんなー」
 ミチは水を得た魚のように目を輝かせていた。
「よしよし、それでトモキくんは元気がないんですねー」
 ミチは、からかうように言った。
「だから、違うって。 関係ないよ」
 そう言ってはみたが、ミチの目の輝きを見ると、何も聞こえていないようだった。
「そうか、そうか。 これは親友のぼくが何とかしてあげないといけませんねー」
 チャイムが授業の始まりを告げた。トモキはチャイムに救われた思いだった。ミチは残念そうな顔をして、自分の席へと戻っていった。
 授業が始まっても、ミチは時々トモキの方を見ては、ニヤニヤしていた。次の休み時間も、給食の時間もニヤニヤしていた。でも、下校の帰り道では全てが一変していた。ミチのニヤニヤがなくなっただけではなく、トモキの顔も青ざめていた。
 下校前の山田の一言は慣例になっている。今日やるべき宿題の念押しと、一日の教室の状態を話してから終わるのが常だった。
 ところが、今日はまったく違っていた。初めトモキは、山田は何を言っているんだろうと思った。
「あのなー、先生にも突然で詳しくは分からないんだけどな。 河合が転校することになった……いや、転校した」
 何を言っているんだろう。山田は、トモキをからかおうとして、悪い冗談を考えてきたに違いない。トモキはそう思った。
「先生も聞いたばかりで良くは分からないんだ。 何しろ突然だしな……先生も驚いてるんだ」
 山田はつまらない冗談をまだ言っている。面白くも何ともないから、さっさとやめればいいのに。トモキは、そういう思いで山田を睨んでいた。
「せんせー、それってどういう事ですか?」
 誰かが山田に聞いた。一人が口を開くと、次々と山田に質問が浴びせられた。
「転校って……それじゃー河合さんはもう学校に来ないんですか?」
「なんで急に転校しちゃったんですか?」
 山田は両手を上げて、浴びせかけられた質問を制すると静かに言った。
「先生にも何が何だかよく分からないんだ。 ただ……ただな、今の時点で分かっていることは、河合は恐らく家庭の事情で、急に転校しなければならなくなったんだよ」
 みんな静かに聞いていた。山田はさらに話しを続けた。
「河合もきっと辛かったと思うぞ。 なー、そうだろう。 みんなにお別れも言う事ができなかったんだからな」
 女子の泣く声が、あちこちから聞こえてきた。山田は、話しながらゆっくりと生徒達の間を歩くと、泣いている子の頭を優しく撫でてやっていた。
「急なことだったから、今はこれ以上何も言えないけどな、みんなは同じクラスの仲間だ。 今後何か分かったら真っ先にクラスに報告するからな」
 山田はそう言った。山田のその言葉で初めて、トモキは現実のことなんだと気がついた。頭では理解していても、なかなか心まで現実が染み通っていかなかったのだ。 
 帰りの挨拶が終わるとともに、何人もの女子が山田の元へ走って行くと、矢継ぎ早に質問を浴びせていた。泣きながら、山田にすがりつくように何かを言っている女子もいた。
 そういう光景を眺めていて、トモキは思った。恭子には、多くの素敵な友達がいたんだなということが。

 トモキもミチも、帰り道ではうつむいて歩いていた。トモキの顔は、血が通ってないほどに青白くなっていた。
「なー……そのー……ごめんな」
 ミチが下を向いたまま謝った。
「え、何のことだ?」
 トモキは一瞬何のことだか分からなかった。
「何のことって……教室でおれ、調子に乗って恭子のこと任せろとか……いろいろ言っちゃったから」
「なんだ、そんなことかよ。 全然気にしてないよ」
「ほんとか?」
「ああ、何とも思ってないよ」
 ミチは、良かったと胸をなで下ろした。トモキはずっと、どうしようかと考えていた。
 恭子が自分の前から消えてしまって、この先ずっと顔も見れない、声も聞けない……そんなことは耐えられないと思った。
 ミチと別れた後も、歩きながらずっと考えていた。いくら考えても答えはすでに出ていた。恭子の家へ行ってみるしかないと。
 トモキは歩く時間ももったいなく思い、駆け足で家へと向かった。帰ると急いでランドセルを置き、ポーを呼んだ。
「ポーごめんな、ちょっと早いけど今日はもうお家に入ろうな」
 ポーを小屋に入れると、エサと水を取り替えた。
「ごめんな。 恭子の家に行かなきゃならないんだよ。 待っててな」
 そう言うと、トモキは自転車に乗って、恭子の家へと向かった。こんな気持ちで恭子の家へ行くなどとは、思ってもみなかった。まるで四郎の病院へと自転車を走らせている時のような、重く暗い気持ちだった。ペダルを漕げば漕ぐほど、恭子の家に近づけば近づくほど、現実を見たくない思いでいっぱいになっていった。
「はあー、苦しいなあ」
 トモキは苦しくてどうしようもなかった。気を紛らわそうと、思いっきりペダルに力を入れて走ったが、苦しい思いはちっとも消えてはくれなかった。やがて、恭子の住むマンションが見えてきた。
 マンションの前まで来ると、自転車を降りてトモキは歩いて入っていった。そこは、夏休みに入る前の日に来た時と何ら変わらなかった。
 トモキは三〇二と書かれた銀色のポストを見たが、そこに河合という表札はなかった。押しつぶされそうな気持ちに逃げ出したくなったが、ぐっと抑えて奥のエレベーターの中へと入ると、三階の丸いボタンを押した。扉がゆっくりと閉まり、トモキを三〇二号室へと近づけていった。
 三階の廊下を進んで角を曲がると、恭子の住む三〇二号室の青い扉が見えた。トモキは一旦立ち止まると、大きく深呼吸して、再び歩きだした。
 奥から二つ目のドアの前に立つと、恐る恐る表札を見た。ポストと同じように、そこには何もなかった。おまけに、ドアの横に下がっていたはずの黄色い傘もなくなっていた。
 トモキは無性に寂しさがこみ上げてきて、三〇二号室の青いドアを何度も何度も叩いた。一秒でも無駄にしたら、もう二度と恭子に会えなくなってしまうような、取り返しのつかないことになってしまうような、そんな強迫観念に包まれていた。
 恭子がどこかへ行ってしまう。そう思いながら、狂ったようにドアを叩き続けていた。トモキがドアを叩く音で、隣の家の住人が出てきた。
「ぼく、何やってるの。 ご近所に迷惑でしょう」
 エプロン姿の小太りな女の人が、トモキに向かって怒っていた。トモキは頭を下げて謝ると、恭子のことを聞いた。
「さあねー、ぼくは河合さんとこの娘さんとはお友達なの?」
「はい、同じクラスです」
 小太りな女の人は、少し考える素振りをしたが、やがて話しだした。
「これでもね、河合さんとは隣同士のよしみで親しくお付き合いしていたのよ。 少なくとも私の方はね」
 小太りな女の人は、溜まっていたうっぷんを吐き出すかのように、しゃべりだした。
「ところがね、河合さんときたら、一言もなしに引っ越して行っちゃったのよ。 ぼくに話してもしょうがない事だけどね」
 そう言うと、三〇二号室のドアを忌々しく一瞥すると、家に入りかけた。
「あ、あのー、それっていつですか?」 
 トモキは慌てて聞いた。
 半分閉まりかけたドアが止まると、小太りな女の人は顔だけ覗かせた。
「それって、いったい何の事?」
 意味が分からないと言う顔で聞いてきた。トモキは急いで聞き直した。急がないと、ドアを閉められてしまうような、そんな勢いだったからだ。
「ああ、えーっと……恭子……じゃなくって、河合さんが引っ越したのはいつですか?」
 小太りな女の人は、なんとかドアを閉めずに最後まで聞いてくれた。意味が分かったという素振りを見せると、教えてくれた。
 トモキはマンションを出ると、自転車を走らせて神社へと向かった。どこに行けばいいのか、何をしたらいいのか、分からなかった。
 かと言って、とてもじっとしてなどいられなかった。恭子がいない、もう二度と会えないかも知れない、頭はその事でいっぱいだった。
 神社につくと、自転車を止めて石の祠へと歩いていった。何故ここに来たかったのかは、トモキ自身にも分からなかった。
 だけど無性に白い狐に会いたかった。
 白い大きな狐は、変わらずそこにいた。
 トモキは石の祠に寄りかかるようにして座ると、白い狐を見つめた。
「どうしよう」
 そう言うと、ポケットからブルーイルカのキーホルダーを取り出した。明かりを捜して辺りを見渡すと、木漏れ日が綺麗な光の線を幾筋か作っているのが見えた。そのうちの一つが、トモキの足元まで届いている事に気がつくと、その光の線にキーホルダーを翳した。
「きれいだなー」
 ブルーのイルカは、光の線の中を泳いでいた。キラキラと輝き、とても綺麗だった。
 トモキの目に涙が溢れてきた。
「どうして……」
 小太りな女の人の言葉が、何度も何度も頭の中を駆けめぐっていた。
「それなら昨日よ」





つづく








あの川の向こうへ 「二十二、ポンコツ自転車」






      二十二、ポンコツ自転車




 トモキにとっては、久しぶりの学校へと続く道だった。何年も歩かなかった通学路のようで、目に入る風景も、鼻の奥を刺激する香りも、何だかよそよそしく感じられた。
 トモキは四郎の死以来、久しぶりに真っ直ぐ前を向いて歩いていった。やがて学校の門が見えてくると、一度立ち止まり、学校を仰ぎ見た。何も変わらずにそこにある学校に、安堵感が湧き上がってくるのを感じた。トモキは学校へと入っていった。
 久しぶりに行く自分の教室は、何も変わることなくトモキを迎え入れてくれた。
「あー、トモキだー」
「おー織田じゃんか」
「ほんとだ、トモキくんだー」
 クラスの仲間達が、次々と言葉を浴びせた。みんながトモキの席へとやってきて、各々違う言葉だったけれども、トモキを心配し、勇気づけ、励ましてくれた。
「トモキくん、ほら、あれ見て」
 その言葉に誘われ、トモキは教室の後ろの壁を見た。そこには色とりどりの紙が貼ってあった。トモキは席を立つと、教室の後ろへと歩いていった。そこには、七夕の短冊をひとまわり大きくしたほどの、色とりどりの紙が貼ってあり、それぞれに言葉が書いてあった。
「織田知希くんが早く帰ってきますように」
 声に出して読んだ内容が自分のことだったので、トモキは顔を赤らめた。
「おートモキの顔が赤くなってるぞ」
「ほんとだー」
 みんなが駆け寄ってきてトモキを取り巻くと、からかった。
「織田くん、ちゃんと全部見てね」
「そうだそうだ、全部声に出して読めよ」
 トモキは嬉しかった。みんなが今までと変わらず接してくれたことが、何よりも嬉しかった。
「ともきが帰ったら、ぼくはやさしくしてやる」
「ともきくんが笑えるようなクラスにしたいです」
 色とりどりの紙には、みんなの気持ちが溢れていた。
「おかえり」
「もう平気か?」
「おかえりなさーい」
 みんながトモキに向かって口々に言った。
「ただいま……みんな、ただいま!」
 トモキは少し照れながら、みんなに向かってそう言った。ここにも、トモキにとっての虹色の落下傘はあったのだ。トモキは素直に、そう感じていた。
 教室の入り口でその光景を見ていた山田は、大きく何度も頷くと、周りの目も気にせずに泣きながら、廊下を歩いて行った。
    
 授業が始まると、山田がはじめにトモキが学校に来たことについて一言だけ触れると、みんなの拍手が鳴り響いた。
 トモキは立ち上がると、ちょこんと頭を垂れると、また席に着いた。
 久しぶりに聞く山田の声から、恭子が風邪で休むことと、ミチが寝坊して遅刻することを聞いた。トモキは、ミチと恭子の席を眺めやった。
 一時間目が終わる少し前、教室の後ろのドアが開く音がした。そこにはミチが立っていた。ミチはトモキに気がつくと、一瞬驚いた顔をしたが、山田の声にそそくさと席に着いた。
「青木、寝坊したのか?」
 山田は席に着くミチを待ってから、そう聞いた。
「はい。 ごめんなさーい」
 ミチはランドセルから教科書を出しながら答えた。教科書を机の中に入れ終わり、ランドセルを置いた時に、一時間目の終わるチャイムが鳴った。
「ほーい、じゃあこれで終わるぞ」
 そう言うと、山田は教室を出ていった。
 トモキもミチも、お互いを意識しすぎて目を合わせることができなかった。一言も言葉を交わせずに二時間目が始まってしまい、とうとう最後の授業が終わるまで何一つ話すことができなかった。
「織田ー、帰りにちょっと職員室に寄ってくれや」
 山田はトモキにそう言うと、教室を出ていった。トモキはミチが気になったが、帰る用意を済ますと、ランドセルを机の上に置いて職員室へと向かった。
 職員室の入り口から山田を捜すと、自分の机からこっちに向かって手を振っていた。手を振る山田の顔はとてもほころんでいて、トモキは落下傘おじさんの優しい笑顔を思い出した。
「よく来たな。 ほんとに、よく来た」
 山田は何度も頷き、トモキの肩に手をおいた。
「みんなで今日の日を、ずっと待っていたんだぞ。 ほんとうに頑張ったな」
 山田の目は潤んでいた。
「うん……」
 トモキも何か込み上げてくるものを感じ、そう答えるのがやっとだった。
「明日からまた、みんな一緒に勉強しような」
「先生……勉強ばっかじゃいやだよ」
 そう言うと、トモキは悪戯っ子の笑顔を見せた。
 職員室から出ていくトモキを見て、あの子はもう大丈夫だと、山田は感じていた。

 教室にランドセルを取りに戻ったトモキは、誰か一人だけまだ帰っていない人影に気がついた。良く見ると、それはミチだった。
 ミチは帰らずに、トモキが戻るのを待っていてくれたのだ。トモキは少し緊張する思いがしたが、ミチの机に近づいた。
「ひさしぶり」
 そう言うと、ほんとに久しぶりにミチの顔を見た。ミチは黙って下を向いていた。
「ごめんな……日曜日のこと怒ってるか?」
 ミチは慌ててトモキの顔を見て言った。
「ちがう、ちがうよ」
 ミチは照れくさそうに顔を伏せると、後を続けた。
「やっと会えたなって思ってたんだよ……なんか照れくさくってさ」
 ミチは頭を掻きながら振り向いた。その目には、我慢に我慢をしても押さえられなかった、数滴の涙が光っていた。
「ミチ、ごめんな。 今度は俺から誘うよ。 今度の日曜日に一緒にせん川の冒険をしようぜ」
「了解、隊長」
 離れていた二人が、久しぶりに再会したようなそんな気分だった。
「久しぶりに、『てんま』にでも行くか?」
 帰り道でミチが聞いた。
「そうだなー、いや、今日はやめておくよ」
「そっかあ」
 ミチは少し残念そうな顔をしたが、日曜日には冒険があるからなと言うと、手を振って帰っていった。トモキは後ろ姿をしばらく見送ると、自分も家へと帰っていった。
 部屋にランドセルを置くと、外に出てポーを呼んだ。ポーはすぐに飛んできて、飼い主の肩に留まった。
「ポー、おまえにも心配かけたな」
 トモキはポーを小屋の中に入れると、水とエサの容器を取り出した。それを水道できれいに洗いながら、ポーに向かって話した。
「みんな優しく迎え入れてくれたし、山田も良かったって言ってくれたよ」
 ポーは頭をちょこんと傾けながら、トモキの方を見ていた。
「恭子は休みだったけど、ミチとはちゃんと話すことができたよ」
 水入れにきれいな水を入れてやり、小屋の中へと戻した。
「今度の日曜に冒険だぜ。 ワクワクしてくるよ」
 エサ箱に、いつもよりも多めにエサを入れると、定位置へと戻した。
「こうなれたのも落下傘おじさんのおかげだよな。 オマエもそう思うだろ。 今度お礼を言わないとな」
 そう言うと、トモキは家へと入っていった。
 でもこの先トモキが、落下傘おじさんと会うことは二度となかった。

 土曜日の夜は、トモキもミチも寝付けなかった。いよいよ明日に迫った冒険を目前にして、落ち着いた気持ちで眠れるはずもなかった。二人とも、まんじりともしないで朝を迎えた。
 トモキは明るくなると共に、布団から飛び出すと、あたふたと服を着だした。布団の中から信子が声をかけた。
「どうしたの、こんなに朝早くから」
「あ、うん。 ミチと遊びに行ってくる」
「こんなに早くから?」
 信子の顔は笑顔でいっぱいだった。
 そそくさと用意を済ませると、トモキは出かけていった。信子は布団に仰向けになると、四郎に話しかけていた。
「あんた、あの子はもう大丈夫だよね。 私は大丈夫。 やっと普段通りのあの子に戻ってくれたよ。 あんたは居ないけど、何とか知希と二人で頑張ってみるよ。 ちゃんと見守っていてね」
 信子の目から涙が溢れてきた。
 でもそれは、希望に満ちた嬉し涙だった。
 
 トモキが二番橋に着くと、ミチはもうすでに橋の上で待っていた。トモキに気がつくと笑顔で大きく手を振った。
「はやいなあー」
「今きたとこだよ」
「それより見てみろよ。 ほら、もうあそこまで工事が進んでるんだぜ」
「こないだ見たよ。 台無しだよな。 これじゃー、川じゃねーよ」
「全部があーなっちゃうのかな?」
 ミチが悲愴な声で言った。
「そうだろ。 大人がやる事なんか訳が分からないよな」
「でも、このところ工事してるの全然見なくなったよ」
 二人はしばらく二番橋の上から、工事されて痛々しく見えるせん川を見ていた。
「いこうぜ」
 トモキが言った。ミチは頷くと、荷物を持ち上げた。その荷物は大荷物だった。トモキが間に合わなかった日曜日も、こうして大荷物を抱えて待っていたんだと思うと、トモキはすごく悪いことをした気持ちになった。
「ミチ、ごめんな」
「え? 何か言ったか」
 何でもないと言うと、トモキも一緒になってミチの荷物の半分を背負い、冒険のスタートであるトンネルに向けてペダルを漕いだ。 とても暗く、怖かったあのトンネル。トモキの心の中に、あの時の恐怖が蘇ってきた。
「こないだは一人で心細かったよ」
 ミチは、そう言って漕ぐ足を速めて隣に並んだ。
「だよなー、おまえよく一人で行ったよ」
「なんだよそれー、トモキが来なかったからだろ」
 二人は笑い出した。怖さを振り払おうとするかのように、思いっきり笑った。もう二人の仲は、完全に元通りに戻っていた。
「どこにとめようか」
「あそこのフェンスのところでいいよ」
 この辺はまだ工事がされていないので、前と変わらぬ風景があった。
 二人は自転車をフェンスに立て掛けると、荷物をフェンスの中へと投げ入れて、自分たちもフェンスを乗り越えた。荷物はその場に置いて、まず川の様子を見に行った。
 トンネルの傍にある木は、変わらず大きかったし、その奥に控えるトンネルの入り口も、前以上に暗いんじゃないかと思うほどだった。
「冷たいなー」
 水の温度を確認しようと手を入れたトモキが、思わず叫んでいた。ミチも手を入れて確かめると、頷いた。
「こりゃー落ちたら寒いぞ」
 二人は身を震わせると、顔を見合わせた。
「どうする」
「行くしかないだろ」
 トモキはそう言うと、荷物が置いてある所へと戻っていった。
「なあ、スタート場所変えないか」
 そう言いながらミチが後に続いた。
「そうだよな。 いきなりあの暗いトンネルはきついよなー」
 二人は荷物からゴムボートを取り出すと、上流の方を眺め、どこからスタートしようかと相談した。今回ミチは、ちゃんと空気入れを忘れずに持ってきていたので、ゴムボートを膨らますのも何て事はなかった。
「ほら、あそこら辺が平らになってるし、入りやすそうだぞ」
「どこ、どこ?」
 トモキが指さす方向を確認すると、ミチも同意を示した。
「よし、じゃあ決まり。 ちょっと遠いいけど、あそこからにしよう」
 二人は荷物を背負うと、膨らませたゴムボートを逆さにし、頭の上に乗せると、二人並んで歩き出した。
「なんか、いよいよって感じがしてきたな」
 ゴムボートを被った格好になっているので、後ろにいるミチの声がこもって聞こえてきて面白かった。
「あー、あー」
 二人は面白がって、色々な言葉を発しながら、目的の場所まで来た。
「思ったよりも遠かったな」
 二人とも汗をかいていた。
 なるほど、そこから見るトンネルの入り口は、かなり遠くに、小さく見えた。
 足が濡れないギリギリの所まで進むと、ゴムボートを下ろし、荷物を積み込んだ。荷物と言っても、ゴムボートを取り出してしまった今、リュックに入っているのはお菓子だけだったが。
 二人は顔を見合わすと、まずミチから乗り込んだ。不安定に揺れるかと思われたゴムボートは、思いの外しっかりと安定していた。
「いいぞ」
 ミチは前に座ると、近くの雑草に手を伸ばして束で掴むと、トモキを促した。トモキは右足を、そっとゴムボートに乗せた。底は柔らかくふにゃふにゃとしていたが、しっかりと安定していたので、トモキは地面を蹴って乗り込んだ。ゴムボートの後ろに腰掛けると、オールを持って言った。
「いいぞ」
 雑草の束を掴んでいたミチが手を放した。
「しゅっぱーつ!」
 ミチが叫ぶ。
 ゴムボートはゆっくりと流れに乗って動き出した。こんなに低い視点で、川や草花を見るのは初めてのことだった。二人とも、あちこち見渡して、お互いが今見た風景を興奮した声で伝え合っていた。やがてゴムボートは完全に流れに乗り出した。
「意外とスピード出るんだな」
「……って言っても歩くよりも遅いくらいだぞ」
 フェンスの向こうの道路を歩く人に、どんどん抜かされていくのをミチは残念そうに見た。
「なんだー、もっとスピードでないかな」
「おいミチ、頭引っ込めろ!」
 トモキの声に驚いて前方を見ると、目の前に倒れかかった木が迫っていた。
「うわあ」
 ミチは間一髪で頭を竦めた。 
「危なかったなー」
「ほおお」
 まるで、山田に出された宿題を、珍しく前の晩にやったにもかかわらず、忘れて登校しようとして、危なくギリギリで気がついた時のような声を出した。トモキは可笑しくなって笑った。
「なんだよー」
 ミチは抗議の声を上げていたが、トモキは笑いを抑えることができなかった。久しぶりに笑っていると、トモキは自分でそう思いながら、なおも笑い続けた。
「もう笑うなよ」
「ごめん、ごめん」
 そうこうしている間に、トンネルは目前にまで迫っていた。二人はトンネルの入り口から目が離せなくなっていた。
「やっぱ、暗いな」
 さっきまで大笑いしていたトモキが、オールを強く握りながら言った。
「こわいなー」
 今までの視点とは違い、水面と同じ高さから、しかも真っ正面から見るトンネルの入り口は、今まで以上に大きくて、暗い口だった。地獄へと続く暗黒の入り口と形容するのがぴったりの場所だった。
 その入り口がグングン迫ってきた。そこから聞こえてくる川の流れる音までが、何だか一オクターブ低くなり、とても邪悪な音のように聞こえた。
 今では暗黒の入り口は、黒一色になっていた。空も見えないほどに目の前に迫ってきている。トモキもミチも、思わずゴムボートに伏せて頭を抱えた。
 一瞬の静寂の後に、ゴーという水の怒った音が全てを包んだ。トモキもミチも恐怖におののき、目を開けた。
 そこは真っ暗だ。何も見えない黒一色の世界だった。右も左も、上も下も、よく分からない。何も把握できないことが、二人に軽いパニックを起こさせた。
「うわあー」
「わーわー」
 二人はありったけの恐怖心を大声に出してわめき散らした。その間も、水の怒った轟音は、鳴り止むことなく続いていた。危うく転覆しそうになり、二人はゴムボートにしがみついた。
「ミチだいじょうぶか?」
 いくらか冷静さを取り戻すと、トモキが叫んだ。
「へいきだよー」
 ミチの怯えたような声が返ってきた。
「なー、二人でいっせーのーせでもう一度怒鳴ろうぜ」
「なんで?」
「そうすりゃーもう怖くなくなるよ」
「ほんとかよ?」
 ミチは疑るような声を出したが、トモキはかまわずかけ声をかけたので、ミチも怒鳴った。再び二人の怒鳴り声がトンネル内に響きわたった。でも今度の叫びは、恐怖に駆られた叫びではなく、恐怖を今まさに克服しようとする叫びだった。二人の叫び声は、トンネル内を闊歩していた。
「ほんとだな」
「なにが?」
「トモキの言う通りだ。 怖くなくなったぞ」
 トモキも同じ気持ちだった。あれほど暗くて怖いトンネルだったのに、今では一切の恐怖心が無くなっていた。暗さに慣れた目が、だんだんと辺りの情報を伝えてくれるようになっていたし、トンネルの中程まで進んだことにより川の流れる轟音が止んでもいたからだった。
「懐中電灯持ってくれば良かったな」
「そっかあー、何か忘れてるとは前から思ってたんだよ。 懐中電灯かあ」
「でもいいよ。 だんだん見えてきたしな」
「うわ、ネズミがいたぞ」
 ミチが叫んだ。
「ネズミくらいいるだろー」
 トモキは一向にかまわないという声で言った。
「おい! あれ見ろよ」
 トモキが叫んだ。
 トモキが何を指してあれと言っているのかは、ミチにもすぐに分かった。トンネルの先に明かりが見えたのだ。入り口からは、ちっとも見えなかった出口の明かりが、今はしっかりと見えていた。
「やったあ」
 ミチは思わずガッツポーズをしていた。
 あの明かりの先には何が待っているのだろう。二人をワクワクとさせる何かが、きっと待っているに違いないと確信して、二人は想像を膨らませていた。
 あれほど怖かったトンネルの暗さが、今では何でもない、ただのトンネルになっていた。
 二人の想像は膨らむ一方だった。お互い恥ずかしくて口には出さなかったが、色々なことを想像していた。
「なあ、あの先に行ったら学校がない……いや、学校はあっても良いけど、宿題のない世界があったらいいな」
 ミチは出口を見つめながらそう言った。
「そうだなー」
 トモキは、トンネルの先に四郎がいてくれればいいのにと、思っていた。
 
 出口の明かりが、どんどん大きくなってきた。川の流れる音も、次第に大きさを増しはじめていた。やがて出口に近づくと、怒った轟音へと変わった。でももう、今の二人にとっては何でもないことだった。
「トモキ、あれ見ろよ」
 ミチが何かを発見して言った。トモキが前方を見やると、そこにはマス目がいっぱいだった。
「なんだよあれ」
 二人は同時に落胆の声を上げた。トンネルの出口には、隙間なくはめ込まれた網状の鉄柵があったのだ。
「これじゃー行けないじゃんかよ」
 トモキは少し手前で、オールを川底に勢いよく差し込むと、流れに逆らってゴムボートを止めた。手にかすかに水の抵抗を感じながら、鉄柵を眺めた。
「どうしようか」
 ミチはトモキの案を待った。トモキには、その言葉が耳に入っていなかった。トモキの目は一点に注がれていた。
 そこにはボロボロの錆びた自転車があった。ここまで流されてきたのか、誰かがここへ捨てていったのかは分からなかったが、ボロボロの自転車は鉄柵に引っかかって、そこにあった。
 半ばまで川の中に埋まっていて、長い間ここにあったんだということは、トモキにも分かった。トモキは急に悲しくなった。鉄柵に引っかかり、流れに置いて行かれて、誰の目にも触れることのない自転車。新しく最新の物だけを欲しがり、それ以外の物は恥ずかしく、壊れてもいないのに捨てられていく物たち。この自転車は流行に取り残されて、錆びてボロボロになっていた。
 トモキは四郎が持ってきてくれた自転車が思い浮かんだ。四郎が一生懸命綺麗にしようと、ペンキを塗ってくれた自分の自転車が、四郎の姿が浮かんだ。
 机だってそうだ。今使っている自分の机を、四郎はどこからか持ってくると、汗だくになりながら狭い部屋に運び入れてくれた。
 トモキは今初めて、恥じる心がなくなった。ペンキを塗られた自分の自転車が、机についていた無数の傷が、すごく格好良かった。
「とうちゃん……」
 トモキは、しばらくの間、ボロボロの自転車を見つめていた。

 ミチの声にトモキは我に返った。
「どうした? 何かあったのか」
 心配そうな顔をトモキに向けていた。
「ああ、ごめん。 考えてた」
「そっか」
 ミチはそれ以上何も言わなかった。トモキは気を取り直すと、ミチに言った。
「しょうがないからさ、戻ろうぜ」
「だよな。 それしかないよな」
 二人はゴムボートを下りると、入り口に向かって戻ることにした。川の深さは膝くらいだったので、水の冷たさを我慢すれば、何とか引き返すことができそうだった。
「ほら、入り口が見えるぞ」
 見ると、あんなに真っ暗で先の見えなかったトンネルの入り口が、こちら側から見ると、ちゃんと明るく見えた。
「ふしぎだなあ」
「なんで行きは見えなかったのに帰りは見えるんだ?」
 不思議だった。でもその明かりは、船乗りが母港に帰る時の灯台の灯りのように、二人にとって優しく確かなものだった。
 二人は代わる代わるゴムボートの紐を引きながら、水の冷たさに耐え、入り口へと向かった。
「なあトモキ、なんだか中途半端になっちゃったな」
 ミチは肩を落としながら言った。
「そんなことないよ。 充分楽しかったろ」
「そりゃ、楽しかったさ」
「だろう」
「それにさ、はじめはあんなに怖かったこのトンネルも、今じゃへっちゃらじゃんかよ」
「それもそうだよな」
「そうだよ。 おれたち少し大人になったんだよ」
 二人がトンネルから出ると、そこはとても眩しかった。
「片づけたらさ、『てんま』にでも行こうぜ」
 トモキがそう言うと、ミチは喜んで頷いた。フェンスの向こうには、四郎が塗ってくれた、トモキだけの自転車が太陽に照らされて光っていた。





つづく







あの川の向こうへ 「二十一、流れ」






      二十一、流れ




「とうとう、傷ついてしまう人間を、ワシらが自らの手で作ってしまったのう」
 白くて綺麗な髭を蓄えた老人の膝の上には、三毛猫が丸まっていた。老人は、三毛猫の喉元を、人差し指で優しく撫でながら話していた。
「八百屋の雅も、決意の目をしとった」
 先日、八百屋の雅さんが老人の家を訪れていた。その時に、成り行きを聞いたのだ。経緯を話す雅さんの目を、じっと見て老人は思った。強い決意の目をしていると。
 しかしその奥には、悲しみと後悔の気持ちが見えていた。
「なあ、ばあさんが生きとったら何と言ったかのう」
 老人は三毛猫の背中を優しく掻いてやった。三毛猫はゴロゴロと気持ちよさそうに鳴きながら、老人の膝に甘えている。
 ここ数日、川から人工的な音は一切聞こえなくなっていた。川の流れは、いつもと同じ姿を取り戻したようだった。老人には、縁側まで聞こえてくる、流れの音だけでそれが分かった。

 河合は、文字通り駆けずり回っていた。
 ろくに睡眠も取る時間がなかった。もっとも時間があったとしても眠れる状態ではなかったが。
「パパ、少しは寝て。 このままじゃ身体が保たないわ」
「うるさいな、少し黙っててくれ」
 河合は、怒鳴った自分の声の大きさに驚いて、我に返った。
「いや……すまん。 大丈夫だから。 もう少し……もう少しだけ」
 そう言うと、受話器を持ち上げた。
「大貫さんをお願いします。 ああ……私、河合と言います」
 タバコの灰が落ちそうになっている事にも気づかずに、大貫が出るのを待っていた。あれ以来、大貫とは全く話すことができないでいた。
「申し訳ありませんが、大貫はただいま席を外しております」
 いつもの様に、事務員の女性の機械的な返事が聞こえてきた。
「そうですか。 戻られましたら河合宛に大至急お電話くださいとお伝えください」
 いつもの言伝を事務員に伝えると、河合は受話器を置いた。吸い殻をきれいに片づけた灰皿が、横からでてきた。
「ああ、すまん」
 河合は灰が落ちる寸前で、たばこを灰皿にもみ消した。
「さっきは、怒鳴ってしまってすまなかった」
「いいえ私は大丈夫。 パパ少し休んで」
「ああ、そうさせてもらうよ」
 河合は寝室へと入っていった。
 それと入れ替わりに、恭子がそっと、部屋のドアを開けた。
「ママ、だいじょうぶ?」
「いらっしゃい」
 優しく微笑んで恭子を呼んだ。恭子は恐る恐る部屋から顔を出すと、急いで母親の胸の中に飛び込んだ。
「大丈夫よ。 何も心配するようなことはないわ」
 そう言うと、恭子の髪を優しく撫でた。
「でもパパが……」
「大丈夫。 ちょっとお仕事のことで忙しくなっているだけよ」
 そう言うと、にっこりと微笑んだ。
「このままでいてもいい?」
「ええ。 いいわよ」
 恭子は、子猫が母猫の優しくて安全な胸の中に入ろうとするのと同じ仕草で、母親の胸の中に身体を埋めた。
「大丈夫。 恭子ちゃんは何も心配しなくて良いわ」
「うん」
 恭子の髪の毛を優しく撫でてくれていた。
「あら、熱があるんじゃないの」
「平気だよ」
「でも一応、お熱測ってみましょうね」

 トモキは自分の机で手紙を見ていた。
 しわくちゃになった手紙。
 トモキは思い起こしていた。自分の下駄箱に入っていたブルーのイルカのキーホルダーと、このしわくちゃになってしまった手紙のことを。
 石の祠の白い狐の前に座って、この手紙を読もうと手を震わせていた時に、誰かが歩いてくる足音が聞こえたので、急いで手紙をポケットに押し込み、走り帰ったこと。なんだか、ものすごく昔の出来事のように感じられた。
 それから今日まで、読むことができなかった。トモキは、しわくちゃになった手紙の折れ目を丁寧に延ばしながら、そんなことを思い起こしていた。
 延ばしきれないほどに皺がついてしまった手紙を、緊張した面持ちで開くと、そこには可愛い字が溢れていた。
 トモキは真っ先に、手紙の最後に書かれた名前を見た。そこには、「恭子より」と書かれていた。トモキは自分の顔が今、真っ赤になっている事が分かった。信子に見られると恥ずかしいので、ポーの様子を見てくると言うと、慌てて表へと出ていった。
 外の風が、赤くなった頬に心地よかった。トモキはポーの小屋の前に腰を下ろすと、手紙を読んだ。ポーが不思議そうに顔を傾け、トモキを見ていた。読み終わったトモキの顔は、外の心地よい風でも冷ますことができないほどに赤らんでいた。
 火照った頬を充分に冷ますと、トモキは家の中へと入って行った。家へ入ると、机の二番目の引き出しを開けて、お守りを取り出した。そのお守りは、入院している四郎に渡そうと思い、神社で買ってきたものだった。とうとう渡すことが叶わなかったお守りを取り出すと、恭子からの手紙を小さく折って、その中に入れた。そのお守りにヒモを通すと、首からさげた。
 トモキには、まずやることがあった。先日の日曜日に、ミチとの約束の場所に時間通りに行けなかった。動物園から必死になって走り、待ち合わせの二番橋へとたどり着いたが、そこにはミチはいなかった。
 ミチのいなくなった二番橋で、川の流れを見ながらトモキは思っていた。今度は自分から誘うんだと。まずは、ミチとの冒険を達成させたかった。
 冒険をやり遂げたあとに、キーホルダーのお礼と、自分の口で、好きだと伝えたかった。それまでは、恭子からの手紙は、首にさげたお守りの中に仕舞っておくことにした。
「かあちゃん、明日から学校にいくよ」
 トモキは少し照れくさそうに机に向かいながら言った。
「知希……」
 信子は、それ以上言葉にならなかった。
「遅刻しないように、ちゃんと起こしてよ」
「……わかったよ。 叩き起こしてあげるから心配しないで寝なさい」
 信子の心にも、何か温かいものが込み上げてきた。四郎が居なくなって以来、二人にとって心が前を向いた最初の夜になった。





つづく








あの川の向こうへ 「二十、虹色の落下傘」






      二十、虹色の落下傘




 日曜日の朝は良く晴れていた。
 トモキは早くから起きていて、ポーにエサをやってから、自分も朝ご飯を済ませた。すぐに外に出ると、ポーを小屋から外へ出してやってから、小屋を掃除しだした。冷たい水が手に刺さって痛かった。
 その時、パンパンと火薬が破裂する音が聞こえてきた。トモキはポーの小屋の掃除を終わらせると、とぼとぼと空き地に向かって歩いて行った。
 その時、また音がして、空に落下傘が打ち上がった。どうやらブルーとピンクの落下傘のようだった。トモキはそれを仰ぎ見ながら、ゆっくり歩いて行った。
 空き地には三人の子供がいて、落下傘おじさんはいつもの場所で、いつもの紙袋から、次の落下傘を取り出しているところだった。
トモキは少し離れた所で、塀にもたれ掛かりながら、風に揺れる落下傘を眺めていた。次から次へと舞い降りてくる落下傘は、とても綺麗だった。色とりどりの傘が、萎んだり開いたりしながらゆっくりと舞い降りてくる。それはまるで天使のようだった。神様が地上に降らす、希望の使者のようだった。トモキは、そんなことを想いながら落下傘を眺めていた。
やがて落下傘おじさんは両手を上げて、子供達に今日は終わりだということを告げた。子供達は、まだまだ物足りない様子だったが、落下傘おじさんが紙袋をポケットに仕舞うのを見て、諦めて帰っていった。トモキも帰ろうと塀から体を離すと、遠くで落下傘おじさんが手を大きく振りながらこっちに向かって歩いてきた。落下傘おじさんの顔が、なんだかとても優しく見えて、トモキは心が落ち着いていくのを感じた。
「やあ、おはよう。 君には以前も会ったね」
 トモキは頷いた。
「日曜日なのに、どこかに出かけないのかい」
「そういう気分じゃないんだ」
 トモキはうつむきながら答えた。
「だったらおじさんと少し話そうか」
 トモキは落下傘おじさんの顔を仰ぎ見た。その顔は、限りなく笑っていたけど、どこか寂しげだった。
「以前、君と会った時に、君は喪服を着ていたね。 だれか大切な人でもお亡くなりになったのかい」
 トモキは、何も言わずに黙っていた。
 落下傘おじさんもまた、何も言わずに黙っていた。
「とうちゃんが……」
 トモキは下を向いたまま、小さな声でつぶやいた。トモキの答えが聞こえたのか、聞こえなかったのか、落下傘おじさんは黙って空を見上げていた。その横顔が、ものすごく寂しげだった。笑顔の奥にある悲しみを見てしまった。何でかは分からなかったが、トモキはそう思った。
 ものすごい罪悪感に襲われて、トモキは顔を見るのをやめた。まるで自分自身の顔じゃないか。でも落下傘おじさんは笑顔をまとっているけれど、自分自身はどうだ。信子の声にも、山田の声にも、それにミチの心にも背を向けている。落下傘おじさんのような笑顔を、自分はまとうことができるのだろうか。そんなことを考えていた。
「どうかしたのかな」
 落下傘おじさんが、屈み込んでトモキの顔を見ていた。
「い、いえ、何でもありません」
「そう。 それは良かった」
 落下傘おじさんはニコニコして、何かを思いついたらしく、手をポンと叩いた。
「そうだ。 これから私が君を、君が私を、招待しよう」
 トモキは質問の意味が飲み込めず、きょとんとしていた。
「どうかな」
 そう言うと、落下傘おじさんはウインクしてみせた。
「……うん」
 トモキはよく分からなかったが、頷いた。
「それは良かった。 それでは今から動物園に行きましょう」
「どうぶつえん?」
「そう、その通り。 きっと愉快ですよ」
 落下傘おじさんは、ニコニコした顔をさらにほころばせて笑った。

 ミチは大荷物を自転車に乗せると、押して二番橋に向かっていた。
 トモキは絶対に来ると信じて、真っ直ぐ二番橋を目指して、自転車を押していた。荷物の重さでバランスの悪くなったハンドルを、力一杯握りしめて、ヨロヨロと進んでいった。
 待ち合わせの時間は午後一時だったが、少し早めに行って、ゴムボートの空気を入れ、荷物を全て積んで待っていようと思っていた。
 
 バスで二十分ほどの所にある動物園の前に、トモキは落下傘おじさんと共に立っていた。動物園の向かい側には、植物園と大きな池があって、トモキも何度か来たことがある。動物園自体に入るのは、今日で二度目だった。
「さあ、行きましょう」
 落下傘おじさんは、とても楽しそうだった。
 動物園は意外と空いていて、中はがらんとしていた。もっと小さい頃のトモキだったら、見る動物全てに興奮していたに違いない。でも高学年になったトモキにとっては、そこまで興奮する気持ちは湧かなかったし、何よりも、今は、動物を見ても心が壊れている状態だったから、余計に冷めていた。それに引き替え落下傘おじさんは、見る動物ごとに一喜一憂していた。
 やがて象のいる大きな半円形の場所に来た。トモキの記憶では、とても大きな象がいたはずだったが、今日は見あたらなかった。その代わり、子象が一頭だけぽつんと草を食んでいた。
「もっと良く見えるところへ行きたいかい」
 今まで一喜一憂していた落下傘おじさんが、急に静かな声で言った。
「さあ、おいで」
 トモキの返事も待たずに、先に歩き出した。
 急いでトモキも後を追った。

 ミチは一生懸命ボートに空気を送り込んでいた。足で踏む空気入れを持ってくるのを忘れてしまったので、顔を赤らめながら口で空気を送り込んでいた。大人が四人乗れるほどの大きなゴムボートだったので、入れても入れてもなかなか膨らまなかった。
「はあー、疲れた」
 ミチは持ってきた水筒を取り出して、少し休憩することにした。
「でも、工事してなくてよかったぜ」
 工事をする作業着姿の人も見えないし、土を掘り興す振動や、金属音も一切しなかった。ミチは、日曜日だから休みなんだと思っていたが、そうではなかった。
「もう十二時かよ。 急がなきゃな」
 持ってきていた時計をチラッと見ると、ミチは今まで以上に顔を赤らめながら、ゴムボートを膨らませはじめた。

 動物園の、象のいる場所にこんなところがあるなんて、トモキは知らなかった。
「ここは秘密の場所だよ」
 落下傘おじさんは、そう言った。確かに、こんなところがあるなんて知らなかった。ここは、細いトンネルのようなところで、少しだけ太陽の光が届きにくい場所だった。ちょうど、みんなが見物していくメインの半円形の場所の、裏にあたる。
「ここはね、誰もが自由に来れる場所なんだよ。 でもね、少しジメジメしているでしょう。 皆気がつかないで通り過ぎていってしまう場所なんですよ」
 落下傘おじさんはそう言うと、手すりに寄りかかって、子象を愛おしそうに眺めた。
「私が君を招待したかったのは、ここなんですよ」
 そう言うと、優しく微笑んだ。
「この子供の象はね、ひとりぼっちなんですよ」
 トモキは草を食んでいる子象を見た。
「名前はナナって言うんだよ」
「なんで……何でおじさんはそんなことまで知ってるの」
 落下傘おじさんはトモキを真っ直ぐ見ると、微笑んでから再び子象に向き直った。
「おじさんはね、毎日のようにここに来ているんだよ」
「おじさんは飼育係の人なの?」
「違うよ。 この象を見に来ているお客さんの方だよ」
 トモキは落下傘おじさんの顔を、不思議そうに見た。
「ナナはね、お母さんを病気で亡くしたんだよ。 つい最近までは、ナナも死んでしまうんじゃないかと思ったほどでしたよ。 お母さんが死んでしまったショックで、エサはおろか水さえも一切口にしなかったんですよ」
 子象は相変わらず草を食んでいた。
「最近になって、やっとエサを食べてくれたんですよ」
 落下傘おじさんは、トモキの方を向くと、目を真っ直ぐに見た。
「ナナは、お母さんの死から立ち直ってくれました。 あんなに小さいのに、たった一人の力だけで元気に立ち直ったんです。 おじさんはね、それを見ていて、すごいと純粋に感動したんですよ」
 落下傘おじさんは両膝を地面につき、トモキと同じ目線になって続けた。
「立ち直っても、お母さんは帰っては来ません。 ナナは一人です。 それでもナナは、立ち直ったナナは、もう大丈夫でしょう。 お母さの死を心に刻んで、立派に、強く、生きていくでしょう」
 そう言うと、ポケットからリンゴを取りだした。
「ナナ、ナナ」
 落下傘おじさんがそう呼ぶと、子象はこちらを振り向き、誰が呼んだのかを確認すると、こっちに向かって歩いてきた。
「ナナの大好物なんだよ。 あげてごらん。 でも飼育係の人には内緒だよ」
 そう言うとトモキの手にリンゴを渡した。傍まで来た子象は、遠くから見ていたよりも大きかった。落下傘おじさんの事が分かるらしく、真っ先にじゃれていった。
「さあ、あげてごらん」
「うん」
 トモキはリンゴを子象に差し出した。子象は、はじめトモキの目を見てから、次に鼻でリンゴの匂いを嗅いだ。
 リンゴを取るかと思った鼻先は、延びてきてトモキの腕の匂いを確かめ、やがてトモキの顔まで延びた。子象の鼻先は少しざらざらしていて痛がゆいのと、鼻息でこそばゆかった。
「やめろよ。 くすぐったいよ」
 トモキは四郎の死以来、久しぶりに笑った。
 トモキを危険のない人間だと判断したのか、鼻先はゆっくり手まで降りていき、リンゴを器用に掴んで口の中に放り込んだ。
 落下傘おじさんは満足げに微笑んで、子象の鼻を撫でていた。子象の目は、何層もの皺が寄っていて、一見とても悲しげな目に見えた。でも良く見ると、力強い生命力で溢れていた。
「おじさんはね、子供を亡くしたんだよ」
 トモキはビックリして落下傘おじさんを見た。
「もう昔の話なんだけどね。 もし生きていたら今年で中学だったんだよ」
「どうして……なんで死んじゃったの」
「交通事故だったんだよ」
 子象は水飲み場の方へ歩いていった。落下傘おじさんは、手すりに両肘をつくと、子象を見つめながら口を開いた。
「おじさんの子は、花火の落下傘が好きでね。 小さな頃から色とりどりの落下傘を持っていたんだけど、どうしても虹色の落下傘だけがなかったんだよ」
 トモキは自分の机の上に置いてある、二つの虹色の落下傘を思い浮かべた。
「ぼくにくれた虹色の落下傘?」
「そう。 その落下傘がね。 なかなか手に入らなかったんだよ」
 落下傘おじさんは、リンゴが入っていた方とは逆のポケットに手を入れると、虹色の落下傘を取り出した。
「これね」
 そう言うと、笑った。
 良く見ると、その虹色の落下傘は長い間ポケットの入れられていて、なおかつ何度も取り出されたらしく傘の折り目はヨレヨレになっていて、虹色もかなり色褪せていた。
「いつものように、お小遣いを持って落下傘花火を買いに行った時に、交通事故にあったんだよ」
 色褪せた虹色の落下傘が風に揺れていた。
「このヨレヨレになった落下傘はね。 あの子が事故にあった時に持っていたんだよ。 生きている時には手にすることができなかった虹色の落下傘。 あの子が事故にあった時に買ったその中に、この虹色の落下傘があったんだよ」
 落下傘おじさんは大事そうに、色褪せた虹色の落下傘をポケットに仕舞った。
「あの子は……あの子はとうとう虹色の落下傘を一度も手にすることなく天国に行ってしまったんだよ」
 落下傘おじさんは天を仰いだ。
 トモキは言葉がでなかった。虹色の落下傘を二つも持っている自分が、とてもずるい人間のように思えた。
「こんな話をしてすまなかったね。 おじさんの子が亡くなったのがちょうど今の君くらいの時なんだよ」
「平気だよ。 おじさんの方こそ平気なの」
 落下傘おじさんはトモキの頭を優しく撫でた。
「ありがとう。 おじさんの子も事故に遭う少し前に、おじさんとここに来たんだよ。 だからね、今日君がおじさんに付き合ってきてくれたことが、おじさんにとっては招待だったんだよ。 ありがとう、君のおかげで、また息子と過ごすことができたよ」
「おじさんはね、ここでナナを見ているうちに立ち直れたんだよ。 だから落下傘おじさんは今日でおしまいなんだ」
「どうして?」
「おじさんはね、落下傘を打ち上げている時にだけ、息子に会えていたんだよ。 天国にいるあの子に、虹色の落下傘を届けてあげたかったんだ。 でもね、ナナを見ていたらそれではいけないと気がついたんだよ。 ちっとも前向きじゃないってね」
「まえむき?」
「そう。 おじさん自身の、虹色の落下傘を見つけなきゃいけないんだってことをね。 それを、ナナが教えてくれたんだよ」
 トモキは体が熱くなるのを感じた。自分も今のままではいけないんだと。
「ナナも自分だけの虹色の落下傘を見つけた。 おじさんも、おじさんだけの虹色の落下傘を見つけた。 君にだってできるはずだよ」 そうだ。自分にだってできるはずだ。
 トモキはナナを見た。
 ミチの顔が浮かんだ。
「おじさん、今何時?」
「今は……もうすぐ二時だよ」
 トモキは走り出した。途中で振り向くと、落下傘おじさんに叫んだ。
「おじさん、ありがとう。 ぼくの落下傘を思い出させてくれて」
 落下傘おじさんは満面の笑みを浮かべると、叫び返した。
「君の虹色の落下傘は何だい」
「ぼくの虹色の落下傘は、それはともだちだよー」
 トモキも満面の笑みで大きく手を振った。
 そして振り返ると、ありったけの力で走り出した。

 トモキが二番橋へとたどり着いた時には、もうすでにミチの姿は何処にもなかった。





つづく









あの川の向こうへ 「十九、日曜日」





      十九、日曜日




 トモキの机の上には、萎んだ虹色の落下傘が二つ飾られていた。そのちょうど横に、しわくちゃになった恭子からの手紙が置いてあった。ズボンの中に入っていたのを、洗濯の時に信子が見つけて、トモキに渡していた。
 その手紙の隣に、もう一つの手紙が置いてあった。先日、ミチがポストに入れていったものだ。そのどちらもが、開かれることなく、机の上に置かれていた。
「トモキ、明日は日曜で母ちゃん休みだからどこか行こうか」
 まだろくにしゃべろうとしないトモキに、信子が明るい調子で言った。トモキは声には出さず、首だけを横に振る。
「残念だなー、せっかく美味しい物ご馳走しようって思ってたのに」
「いい。 俺いらないよ」
「そお……じゃあまた今度にしよう。 そうだ、そう言えば、せん川の工事が中止になるかもしれないみたいだよ」
「なんで」
「うーん、詳しくは知らないけどね。 商店街で買い物している時に、話してたのを小耳にはさんだんだよ」 
 信子はそれ以上何も言わなかった。一瞬トモキが興味を示したが、またすぐそっぽを向いてしまったからだ。

 ミチは明日のための準備をしていた。
「ボートは入れただろ……あとはなんだ」
 大きなリュックサックに、あれこれ詰め込んでいた。
「お菓子は、やっぱりいるよなー」
 リュックはパンパンに膨れていた。
「これじゃーまるで家出でもするみたいだな」
 ミチは可笑しくなって笑い出した。笑いながら、明日トモキと決行するせん川下りの冒険を思い浮かべていた。

 恭子の家は、大変だった。
 父親が請け負っていた護岸工事が、無くなってしまうかもしれないという状況だった。
 恭子には詳しいことは分からなかったが、父親の顔を見ていれば、どんなに重大な事が起きているのかが分かった。家に帰って来ても、ひっきりなしに、あちこち電話をかけていたし、常に頭を抱えて動き回っていた。そんな父親の姿を見るのは初めてだった。
 恭子は、ものすごく怖くなって、部屋の中に逃げ込んでいた。逃げ込んでいても、聞こえてくる父と母の声。恭子は、何もかもが聞こえないように、布団をかぶり、枕で耳をふさいだ。

 トモキは、ポーの小屋の前に座っていた。
 ずっと座って、虚空を見つめるトモキを、不思議そうな目でポーが見ていた。
「おれ、ダメだよ。 なんだか身体が壊れちゃったみたいなんだ」
 トモキは誰に言うともなく、つぶやいた。ポーはトモキに撫でて欲しいようで、柵に嘴を押しつけてきたが、トモキは手を差し出さなかった。
「トモキ、ご飯だよ」
 信子が顔を出してトモキを呼んだ。
「うん」
 トモキは家へと入った。
 
「そこを何とかお願いします」
 河合はまだ電話をかけ続けていた。
「いえ、そんなことはないんですよ。 断じてそう言う事実はないんです」
 目の前にある灰皿は、吸い殻で溢れていた。
「そうですか。 お手数おかけしました」
 河合は受話器を置くと、首を横に振った。
「あなた……」
「大丈夫だよ。 なんとかするさ」
 そう言うと、タバコに火を付けた。

 トモキは夕飯を食べ終わると、自分の机に座っていた。先ほどからずっと、頬杖をついて虚空を見つめていた。
 トモキの机は小学校に入学した時に四郎がどこからか貰ってきた物だった。トモキの家の家計では、ランドセルを中古で買うのが精一杯だった。とても机にまでお金がまわらなかったので、四郎がどこからか貰ってきてくれたのだが、その机は何の飾り気もなく、角張った灰色のスチール机だった。どこかの会社で使うような机で、あちこちに傷があったので、トモキは嫌だった。
「こんな机使えるかよ」
 そう四郎に言った事を思い出していた。その机が、今となってはとても愛おしい物に感じていた。それはトモキにとって、四郎からの贈り物の一つだったから。
「トモキ、大丈夫かい」
 信子が心配そうな顔をして覗き込んできた。
「平気だよ」
 トモキはビックリしてそう答えた。信子は、まだ何か言いたそうだったが、その言葉を飲み込んで、台所へと入って行った。トモキは、信子の後ろ姿を見送ってから、再び机に目をやった。
 目に入ってきたのは、ミチからの手紙と、くしゃくしゃになった恭子からの手紙だった。トモキは二つの手紙を、目を細めて眺めた。しばらく眺めてから、ミチからの手紙を手に取った。何故ミチの手紙を手に取ったのか、それはトモキ自身にも分からなかった。
 くしゃくしゃの恭子の手紙は、まだ開かれずにトモキの机の上に残された。





つづく







あの川の向こうへ 「十八、二つの封筒」





      十八、二つの封筒




 役場に一通の白い封筒が届けられた。差出人は定かではなかったが、その中には重大な物が入っていた。役場では、大貫が冷や汗をかきながら、苦しい弁明を繰り返していた。

 学校では、山田の声が教室に響いていた。ミチも恭子も元気のない顔をしていた。今日だけじゃなく、トモキが来なくなって以来、ずっとそんな調子だった。トモキは、いったい何時になったら学校に来るのだろうと、二人共そればかりを考えていた。
 放課後、ミチは山田に呼ばれて職員室へと行った。
「おう、きたか」
 山田は明るい調子で話しかけた。
「おまえは織田の親友だったな」
 ミチは黙って頷いた。
「うん。 あのな、織田のお母さんとも先生話してきたんだけどな。 織田もまだショックが大きいから、しばらくそっとしておこうという話になったんだ」
 ミチは黙って手を握りしめ、聞いていた。
「だからな、おまえもそっとしておいてやれ。 織田が学校に来るまで待っていてやれ」
「でも……」
「おまえも辛いだろうけど、織田はもっと辛いんだぞ」
 ミチは、黙って頷いた。手をよりいっそう握りしめて。
 ミチは帰りに少し遠回りして二番橋に来ていた。川の工事はどんどん進んで、せん川を徐々に破壊していた。ミチには、そう見えた。
「あーあ、もう終わりだな」
 川面に向かって独り言を言った。
「トモキがいたらなー」
 ミチは、トモキと計画していた冒険のことを考えていた。早くしないと、せん川がなくなってしまうと思うと、いても立ってもいられない気持ちでいっぱいになった。こうなったら強引にでもトモキを連れ出して冒険を決行をしようと、二番橋から見える工事風景を見ながら思った。
「よし。 決めた」
 ミチは学校からずっと握りしめていた手を緩めると、前を向いて歩き出した。

「しかし……」
「しかしじゃないよ君、こんな事が世間に知れたらどうなると思うんだね」
「しかし、けしてやましい事は、何一つ……」
「そう言う問題ではないよ。 やましい事があろうがなかろうが、こういった物が世間に公表でもされてみなさい。 それが問題なのだよ」
「はい、申し訳ありません」
 大貫はハンカチで額の汗を拭き、肩を落として自分のデスクへと向かった。デスクにつくと受話器を取り上げ河合に電話をかけた。
「はい、河合です」
「ああ河合さん、大貫だけど」
「どうも。 どうかされたんですか。 工事の方でしたら順調に進んでいますが」
「実は、その工事のことなんだよ」
 大貫は受話器に手をかざし、小声になって話し始めた。
 匿名で届いた白い封筒の中には、一枚の写真が入っていた。
「あんな写真を撮られては、たとえ潔白だとしても世間はそうは見てくれないからね」
 隣町にある料亭の前で、大貫を見送る河合が写った写真だった。
「でも私は……私たちは何もやましい事などしては……」
「だから先ほども言ったように、こうなってしまっては、もうそんな事は問題ではないんだよ」
「しかし……工事はどうなるんですか」
「そんな事は、私の自由になるところではないよ。 すべては上の判断に従う以外、方法はないよ」
「そんな、もう工事は始まっているんですよ。 急に中止という事にでもなったら、従業員たちはどうなるんですか」
「そんな事を私に言われてもね。 それは河合さんの方の問題でしょうが」
 河合は天を仰いだ。どうしたらいいのだろう。いったい誰がそんな写真を撮り、役場に送ったのだろう。
「とにかく、今後一切の関わり合いをご遠慮願いますよ。 それでは」
 大貫は有無を言わせずに電話を切った。河合は、軽い目眩に襲われてフェンスにもたれかかった。
 とんでもない事になってしまった。いったいこれからどうなってしまうのだろう。泥にまみれた従業員達の顔を見た。
「従業員達を路頭に迷わす訳にはいかない」
 土を興す工事の振動に、足元のアザミの花びらが揺れていた。もうじきスコップで興されるであろうアザミの花が、最期の一瞬を精一杯謳歌していた。
 秋口の風が河合の前髪をすり抜けて、水面を揺さぶり消えていった。
「どうしたらいいんだ」

「どうしようかなー」
 ミチは、自分の部屋で先ほどから何か書いていた。ゴミ箱には、ぐちゃぐちゃに丸められたノートの切れ端が、たくさん投げ込まれていた。
「うまく書けねーなー」
トモキを連れ出して、せん川を下る冒険を決行しようと決めたまではいいが、どうやって連れ出すかで迷っていた。
直接行っても、また近所のおばちゃんに門前払いされそうで怖かったし、外から大声で呼ぼうとも考えたが、トモキが素直に出てくるとは思えなかった。そこでミチは、手紙で伝えようと考え、必死になって書いている最中だった。
「これでいいかな。 よし、これでいいや」
 やっと書き上がった手紙を封筒に入れると、自転車に飛び乗ってトモキの家へと向かった。トモキの家に明かりは点いていなかった。
「なんだ、いないのか」
 ミチは玄関先に腰掛けると、手に持っている封筒をしばらく眺めていた。やがてポストの中に封筒をそっと置くと、自転車を押して歩き出した。いったん立ち止まり、振り返ると、唇をぎゅっと結び自転車にまたがった。
「信じてるからな。 決行は今度の日曜日だぞ」
 そう言ってミチは帰っていった。





つづく







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